12歳の時、担任の先生が掲げたテーマ「20年後の自分」にこう書いた。「結婚して自分の家庭を持ち、やりたい仕事をしている」。
なんとも漠然とした内容だけど、結婚する、ってことには何の疑いも持っていなかった。
素敵な人と出会って結婚をする。それが目指すべき幸せ。

自分の名字にこだわる気はなかったのに、急に「あれ?」と思った

その20年後をあと数年で迎える今、やりたい仕事はしているが、結婚はしていない。
これからの人生を一緒に過ごしていきたい恋人はいるが、イコール結婚、に最近足踏みをしている。
理由は名字だ。

私の名字はなかなか変わった名前だ。一発で読めた人はこれまでたった2人。小さい頃はからかわれたりしてあんまり好きじゃなかったが、仕事をし始めると得だと気づいた。一発で読めないかわりにその場で覚えてもらえるからだ。
結構気に入っている。

と言ってもこれまで、どうしても自分の名字にこだわる気はなかった。「結婚したら消えてしまうな」と、当然のように自分が変えると思っていた。
でも、いざ恋人との間で結婚の話が出、名前を変えることが現実的になったとき、急に「あれ?」と思った。
好きな名字なのに、なんで私だけさみしい思いをして変えなきゃいけないの?

女友達の中で、分かってくれる人は少なかった。
「私は自分の名字がぶっちゃけ好きじゃないし、相手の名前になれてラッキー」「旦那に名前を変えてもらったりしたら、周りになんで?って聞かれそうで嫌」「そもそも、男が女の名字に変えられるなんて知らなかった」

どれだけ理不尽な、悲しい、腹が立つことに遭ってきたの?

自分の名字にこだわらないという子の気持ちに口だしする気はない。そうしたいならそれで良いと思う。
でも、私はそうしたくない。
名字を変える手続きが面倒だからじゃない。
慣れ親しんだ名字を捨てるさみしさを、女だけが味わうなんて不平等だと思うからだ。

だって今まで。
女であるというだけで、どれだけたくさんの理不尽なこと、悲しいこと、腹が立つことに遭ってきたと思ってるの?
クラスの男子にちょっかいを出され、反撃したら「女の子がそんな手荒なことをするもんじゃない」と私だけ怒られた小学生時代。楽しみにしていた遊園地に向かう途中、満員電車の中でお尻をまさぐる手を感じて泣きそうになった中学生時代。高校の通学路で突然見せつけられた赤黒い男性器。驚きとショックで声も出ず、その後家族で食べた夕ご飯は味がしなかった。社会人になってから受けたセクハラや差別的な言動は数えきれない。
反抗したり言い返したりしても「何怒ってんだ」とまともに取り合われないことがほとんどだ。
そして、プライベートの結婚で、また、女が、我慢するのか?

大事な名字は、じゃんけんで決める。もしかしたらとても合理的?

「名字が変わっても、ひかりはひかりだから」
そりゃそうよ。
「仕事では旧姓を使えるよ」
夫も一緒よ。
「俺は長男だから・・・」
私も一人っ子よ。

自分がされて嫌なことを、恋人に強いたくはない。
だから名字をどうするかは永遠に決まらない。

八方塞がりになったとき、ある人に言われた。
「じゃんけんで決めたら?」

じゃんけん!
そんな大事なことをじゃんけんで決めるなんて、と
笑いそうになったが、もしかしたらとても合理的なのではないか?と思った。
私が名字を変えることになっても、それは「女だから」変えたんじゃない。
あくまでじゃんけんで負けたからだ。
めちゃめちゃフェア。
問題は、これを、恋人がのんでくれるか。

もしも嫌だと言われたら、結婚はしないか、名前を変えるに相当する見返りを頂くかになる。

私は強情だろうか?それぐらい妥協しなよ、恋人を困らせてどうするの、と周りに言われるだろうか?

でも、これからの人生を一緒に過ごしたい人との「約束」だからこそ、
絶対に悲しい気持ちで臨みたくない。
今、やり過ごしても絶対に後から「なんであの時わたしだけが」と思うから。
本気で向き合うのが私なりの愛だ。
この愛、受け取ってくれますか。