好きになれないわたしの名前。
私の名前は、ひらがな三文字。
私の名前を聞いて連想できるものはたくさんある。
南国、暑い、沖縄、東西南北、マンゴー、ココナッツ、ビーチ、青空、海、楽園、太陽。
連想できるワードを人格に当てはめると、明るく元気で社交的で誰に対しても温かく、よく笑い、よくしゃべる、楽しいひと。
こういうひとになってほしい、と名付けられました。

父方のひいおばあちゃん曰く、私の苗字には△の形をした文字を名前の最初に置くといいとのことで、ひらがなになった。

父親も妹二人の名前の最初の文字も△からはじまる。

この名前、すんごく嫌だった。たっくさんからかわれた。
上から読んでも下から読んでも同じとか、大王のカメハメハ、と言われたり、当時流行っていたいとうあさこさんのネタをやられたり。

そろそろ私の名前、わかりましたか?(笑)

名前に何度も泣かされて、名前と私を切り離したかった日々

小学校中学年くらいになると、周りの友達が自分の名前を漢字で書くようになったり、自分の名前の漢字を授業で習って嬉しそうな顔でアピールしてきたりする。

せめて苗字は漢字を頑張りたかったけれど、私の難しい苗字は小4まで書けなかった。
みんながノートや教科書に漢字混じりの名前を書く中、私はすべてひらがなだった。
みんな漢字なのに理不尽だよ、ひいおばあちゃんの意向でひらがなだなんて。
そもそも結婚したら苗字も変わるのに!結婚できるか分からないけどさ!
嫌な気持ちを通り越してもはや自分の名前が恥ずかしい。
名前には様々な種類のネガティブな感情を味わわされ、何度も何度も泣かされた。
コンプレックスとはまさにこのこと。

オトナになったら改名してこんな名前とサヨナラするって決めた。
高校生になり、今度は”タッチのあの子と一緒だ!”って言われるようになってしまった。
そのマンガ読んだことないからわからないけど、なんとも言えない嫌な気持ちが細胞の隅々まで広がる。
マンガに出てくる女の子と重ねられている気がする。
きっとそのステキな女の子とはかけ離れているだろうし、かけ離れているであろう私が惨めで恥ずかしい。
“その女の子とは関係ないです~!”って言っても良かったのかもしれないけど、自分で名前の由来を説明するなんて恥ずかしすぎる。“私の名前って、ビーチとかあったかいところのイメージなので~~~~”なんて、自分で言えるわけがない。

どっちにしろ、名前負けだよね。
名前と私を切り離したかった。
だけど、これは言わせてください。私の親は好きなキャラの名前をつけるようなタイプではないです。
改名したいとまではもう思わないけど、でも好きになれないな。

嫌いじゃない私の性格を体現してくれている名前なのかもしれない

名前を"つける"。
つける、ってすごい。
付ける、着ける、漬ける、浸ける、尾ける、憑ける。
ぜーーーんぶ、何かと何かが一体化してる感じがする。
着る、漬け物、お浸し、尾行する、取り憑く、とか。
体と衣類、食材と調味料、誰かと誰かが1つになっていて、それでもって何か意味をなすようになっているものばかり。

私につけられた名前から連想してみると、明るいイメージの単語が並ぶ。
そして、“あたたかくて、楽しい人になってほしい”という思いもついてます。
私はおしゃべりなほうだし、ツボが浅いし、ボケるのもツッコむのも好き。
思ったことが全部顔に出て、嬉しいことはリアクションもするし、まあ、明るいほうだと思う。
困っている人がいたらどうしても放っておけないタイプだ。

こうやって見ると、意外と私って悪いやつじゃないのかもしれない。
自分のこの性格を気に入っていないわけではないです、正直。
私のこの性格を体現してくれてる気がしてきた。
名前と一致してるかもしれないなぁ。
しかも私、運がいいんだよ、そういえば。
いろんなご縁に恵まれて、家族も、友達も、高校も、大学も、バイト先も、どれをとってもいいところばっかり。
いい人に囲まれているから、色んな経験をし、色んな感動を味わってきた。
△の形の文字にしたって何も変わらない、って思っていたけれど、私がこんなに運が良くて幸せなのはきっと名前が呼び寄せてくれている説、濃厚。
天国のひいおばあちゃん、ありがとう。
いい仕事してるじゃん、私の名前。
私についているあなたとそのイメージと一緒に、今日も私らしく明るくスキップしながら運をかき集めて頑張っちゃおうかな!