私の今年の宣言は、ひとりを楽しめる人になること。

正直私は、ひとりでいることが苦手だ。
休日一人で家にいれば、気分が落ち込んでしまうし、かといって外にでかける気分にもならない。
「ひとりって何しても楽しくない。ひとりって寂しい」こんな私の概念を拭ったのは、年末年始の1週間。
今年はこの休暇を一人で過ごすことになった。

せっかくだから普段できないことをしようと、気になっていた映画を何本もみたり、部屋の模様替えをしたり、絵を描いたり、文章を綴ってみたり。
沢山ある時間を贅沢に、急ぐことなくゆっくりと過ごした。目覚ましのならない朝。遅めの昼食。夜通しのお絵かき。普段できないことをする幼い背徳感が心地よい。

こんな日々を過ごしているうちに、「誰かと過ごす楽しさ」とは別の高揚を感じている自分に気づく。それは、空いていた生活や心のピースを埋めていくような感覚で、「愉しい」という言葉がぴったりだった。同じ「たのしい」でも意味が異なるこの言葉。辞書を引けば、“自分の中から湧き上がってくる「心の高揚」。 より主体的で、じっくりと心で感じる満足を伴う。”と書かれている。

誰かに依存することも頼ることもなく、自立して過ごせている満足感

私はこの説明に共感しながらも、最後の「満足を伴う」という点でふと疑問を持った。
私は何に満足を感じているのだろう、と。
確かに時間の過ごし方に満足を感じているのは事実だけれど、あくまでこれは付随的に発生した感情で、もっと根本的なものがあると感じていた。
そして残りの数日、私はこの疑問を取り出しては対峙するうちに、1つの答えが導き出された。

そうか、私は自分が自立して過ごしていることに満足しているんだ。
誰かに依存するでもなく、頼るわけでもなく、私自身が私を満足させたという自信。
自分らしく好きに生きるという憧れを、少しだけ叶えたたような誇らしさ。
どれも些細ではあるけど、ひとりを楽しくない、寂しいと思わない”小さな自立”と”自分の変化”に、満足しているのだと理解した。

そして同時に自分を見つめる機会になっていることも気づいた1つになる。
自分の好きなことに触れたり、自身について考えを巡らせる時間は、自分中心でありながら自分と向き合うこともできる。そこで見えてくる新しい自分は、もっと自分のことを好きにさせてくれた。

たった1週間で大きく変わったひとりへの価値観

そうやって自分のやりたかったこと、好きなことをどんどんやり遂げていくと、新たな好きが生まれてくる。
それは成長して夢や目標になるかもしれないし、日々の愉しみになるかもしれない。

私はこの休暇で空間づくりが新しく好きになったけれど、メンタルのヘルシーさが大きく変わったと思う。シンプルなことで、居心地のよい空間にいれば気分は上がるし、何より自分のことを大切にしている感じがする。
次は私の描いた絵を飾ってみようかな、そしたらどんな絵を描こう。そんな風にやりたいことリストは増えていって、自分の周りを好きなもので埋めていく。こんな素晴らしく有意義なひとり時間を、どうして寂しいと思うだろう。

たった1週間ではあるけれど、それでも大きく変わったひとりへの価値観。
もちろん大好きな人たちにはいつだって会いたいし、恋しい気持ちは変わらない。2020年はそんな彼らに会えない年でもあったから。きっと今年もそんな状況が続くだろう。
だけどそんなときも悲観的にならず、2021年はもっともっとひとりを楽しめるようになって、今年も私の年だったなあなんて年末に言える強さを持ちたい。

これが、私の宣言だ。