先日息子達が幼稚園のお友達と公園で遊んでいた時の事。ママ友の間で、今巷で大流行しているあの漫画の話が盛り上がっていた。というか、始終その話しかしていなかった。我が子はどのキャラクターが好きか、親はどの程度ハマっているのか。グッズについてや、イベントについてなどなど。

もしも私が「うちは見せてないの~」と発言してしまったら、このトークは盛り下がってしまうだろう。私はそう判断して、鬼ごっこをしている子ども達に近づくフリをして、そっとその場から離れた。

私達夫婦が子育てをする中でその漫画との付き合い方をどうしているかというと、息子達が幼稚園から吸収してきたものを否定はしないけれど、あえて親からコンテンツを与えることしないというスタンス。その価値観は旦那とも一致している。

ちなみに旦那はその漫画が好きだし、元ヲタクの私だって正直乗り遅れただけだ。読めば確実にハマると思う(声優ヲタクだったし…)。

我々があの人気漫画を息子たちに与えようとしない理由

ではなぜ我々がこの漫画を息子達に与えようとしないかというと、「うちの子にはまだ早い」と思うからだ。ちなみにその漫画を原作とした映画は「PG12、全年齢観賞可」。映画倫理機構(映倫)によると、このPG12というのは「12歳未満の年少者の観覧には、親又は保護者の助言・指導が必要」という区分。

4歳と6歳の幼稚園児を持つ親として、その原作の漫画を「うちは見せてないの~」と言い辛いこの空気は、ぶっちゃけ息苦しいものがある。幼稚園の先生達も、和柄のシュシュを着けたり、お楽しみ会の演目にそのキャラクターを取り入れたりしている。

私は恐らく「対象年齢」を過剰に気にしているマイノリティだ。しかも少し前までは、その価値観がマジョリティだと思い込んでいた。しかし先日の公園で、それは思い違いだったということを目の当たりにした。

この間、美容院のお兄さんにその話をした時も「僕は気にしませんけどね~」という感じだった。恐らくこの文章を読んで下さっている方も、ほとんどがそのお兄さんと同じ岸に立っているのだと思う。私はあなたの対岸に、未だに立ち尽くしている。

……でもさ、みんな思い出してごらんよ。自分が子どもの頃、あのアニメは見ちゃだめとか、このバラエティは教育に良くないとか、お父さんお母さんに言われなかった??今調べてみたところ、あの懐かしい「子どもに見せたくない番組ランキング」は、2013年以降調査されていないらしい。確かに最近聞かなくなったね……。

今の子ども達は自力で情報を獲ってくる。共働き家庭も増え、タブレット端末も普及した。親がそこで「見せたい」情報と「見せたくない」情報を取捨選択するのは難しいのかもしれない。だからこれは、簡単には白黒つかない、全くもってグレーな話だ。

画面から言葉遣いをすぐにコピーし、兄弟ゲンカにも反映する息子たち

私には他にも、「対象年齢」が気になったエピソードがいくつかある。1つ目は、息子達にゲーム実況の動画を見せてみた時の事。

長男は誕生日に、新しいレゴブロック手に入れた。そのブロックは、とあるテレビゲームをモチーフにしていて、彼は小さなレゴ人形達の名前を知りたがった。私自身、学生時代にそのゲームの実況動画にハマっていた事を思い出したので、息子達に見せてみたのだ。

そして2つ目は、家族でM-1を見た時の事。何気ない気持ちで家族団欒の時間に漫才を見て、みんなで大爆笑した。

そう、そこまでは良いのだ。どちらも息子達は面白がっていたし、私も旦那も面白がっていた。しかし画面を消したその直後、私の息子達はどうなるのか、それが問題。

息子達の言葉遣いと振る舞いが、急変するのである。

ほんの一瞬でYouTuberや芸人さんの言葉遣いが息子達にコピーされ、それが兄弟ゲンカにまで反映される。唐突に鋭くなった兄弟のやり取りを見て、私は「うちの子にはまだ早かった」と思った。

それぞれ状況があり否定したいのではなく、あえて与えたいと思わない

我が家の子どもが持っているタブレットは学習専用の物なので、YouTubeを見る機能はないし、テレビで毎日バラエティー番組を見る習慣はない。我が家の息子達の吸収力が激しすぎるのか、YouTubeやバラエティー番組の影響力が強すぎるのか。

息子達のその急激な変わりぶりは、明らかに表面だけをなぞったものだった。幼稚園児の彼らに、制作者の意図や、演者さんやYouTuberの情熱が伝わっているとは思えない。

世の中にはフィクションとノンフィクションを幼い頃から見極められる冷静な子どももいるだろうし、兄弟構成や環境などの背景であえて、あるいはやむを得ず、メディアに触れさせている家庭もあると思う。我が家だって子育てをする中でテレビやスマホに助けられる事はあるから、それを全否定したいわけではない。ただ、我が家の場合は、我々親がそれらの情報を、あえて、我が子達に与えたいとは思わないのである。

みんな思いをもって、発信、受信、もしくは遮断をしているだけなのだ

そういえば私が高校生の頃、友人に「将来自分の子どもにはたくさんテレビを見せて、世の中を知って欲しい」と言っていた子がいて、私はその発言に衝撃を受けた。その時も「価値観って色々なんだなぁ」と思ったのだが、私は親になった今改めて、同じことを思っている。

テレビを見ることはテレビを見ている人を知ることだし、YouTubeを見ることもYouTubeを見ている人を知ること。漫画もアニメもそうだ。そして世の中で多くの人が、それらを見ている。世の中を、世界の風潮を知ることには意義がある。画面から知った情報が、リアルな人間とつながる媒体になることもある。

それは分かっているんだけど……。

……申し訳ないのだが、この文章に何らかの結論や提案はない。なぜなら、ここまで誰一人として悪者や悪意を持った人、変わるべき人間は登場していないからだ。みんながみんな、それぞれの思いをもって発信、受信、もしくは遮断をしているだけなのである。大人も子どもも。そして時代に乗り遅れているのは、明らかに私の側なのだ。

しかし1つだけ、最後に言いたいことがある。もしも私と同じように「対岸に取り残されてしまった」と思っているお父さん、お母さんがこの文章にたどり着いたとしたら。私は「同じです」と手をあげて、あなたの意見に賛同します。

我々は絶滅危惧種だ。