パリ。ルーブル美術館の大階段に、今日もそれは佇んでいる。
力強い足元に大きな翼、風に揺れる衣。
そして、・・・彼女には首から上と両腕がない。
笑顔のひとの傷や、強そうなひとの不安や苦しみを、私はキレイと思う
サモトラケのニケ。
勝利の女神はギリシャで発見された、遠い昔の彫像。
私は中学生のとき、美術の便覧で彼女のことを見てから、とてつもなく惹かれている。綺麗な顔をして完全な状態の彫像もたくさんある中で、彼女だけがなぜだか私の心を捉えた。
ミロのヴィーナスもそうだけれど、腕がないことが見るひとの想像力を掻き立て、彼女を特別にしている、という見解があるらしい。ニケは加えて顔もないのに、私はそこに前をしっかりと見据える眼差しと、キュッと結んだ口元を想像する。しかし、それは私の想像でしかなくて、本当の姿は一生わからない。知りたいような気もするけれど、でもこのまま復元されずにいてほしいと思う。欠けている彼女が私にとってはずっと憧れの存在で、パリで実際に会えたあともそのことは変わらない。
思えば、私は生きているひとについても、欠けた部分を垣間見ると、泣いてしまいそうになる。それは悲しいんじゃなくて、共感でもなくて、美しいと思うからだ。いつも笑っているひとが、密かに持っている傷や、強そうに見えるひとが抱えている不安や苦しみを、私はキレイだと思う。
いつも朗らかな彼女が見せてくれた、虐待という傷
大学のときに、クラスもサークルもまったく違う子となんとなく友達になった。その子は、人当たりがよくて、いつも朗らかに笑っていた。すれ違うと挨拶を交わし、数回、お昼ごはんを一緒に食べ、私たちは記憶に残らないような、なんてことない話をした。けれど、なぜだか心に残る子だった。
就職をして、大学時代の友人とはあまり連絡をとらなくなった頃、たまたまのきっかけで連絡を取り合い、その子とご飯にいくことになった。
「結婚するんだ」
テーブルについて早々、そんな話が出てきて、びっくりしながら「おめでとう」と返す。お相手はサークルの先輩。「どんなひとなの?」という質問から、彼女は自分の傷を見せてくれた。小さい頃に受けた虐待のこと。実家から逃げ出してからも、ひどい男の元で暮らしていたこと。ひとを信じることができなくなっていたこと。
世界のなにも完璧じゃない。だから、焦がれるんじゃないだろうか
私はうんうん、と耳を傾けながら、なんだか納得した。ああ、この傷が、欠けた部分が、彼女を特別にしていたんだ。そう、思った。そして、すべての傷をわかった上で一緒にいてくれる未来の旦那様の話をする彼女は、私を見ながらどこか遠くを見て、いままでで一番キレイな顔をしていた。
彼女が傷を見せてくれたのは、私が、おそらくもう二度と会わないであろう距離感の友人だったからだと思う。近すぎるひとには、見せられないものを、みんな抱えている。みんな、完全に見せようとするけれど、欠けた部分があるから、惹かれるんじゃないだろうか。世界のなにも完璧じゃないし、だから、なにかに焦がれるんじゃないだろうか。
不完全だから、美しい。みんなニケのように欠けていて、美しい。私は、そう思う。