私は昔から恐竜が好きだ。最初のきっかけは自分でもよく覚えていない。物心ついたときにはすでに好きだった。
「ティラノサウルスになりたい」と公言していた時期もあった
周りがリカちゃん人形やシルバニアファミリーなど、かわいらしいものを欲しがっていた時期におこづかいを貯め、分厚くて重たい恐竜図鑑を買い、子供には重労働だろうに、わざわざカバンに入れて持ち歩いていたくらい恐竜が好きだった。そしてそれを机の横に置いているくらい、今でも恐竜が好きなのだ。
中でも私は、ティラノサウルスが好きだ。
彼が人間の目の前に現れる、あの瞬間が好きだ。その瞬間の彼は実にゆっくり登場し、何とも言えない、真似のできないあの鳴き声と共に人間を恐怖に陥れる。
「あーーこれは勝てない。食べられるしかない」
そう思うあの瞬間が私はたまらなく好きだ。
何を思ったのか、
「ティラノサウルスになりたい」と公言していた時期もあった。
周りの頭の中が「?」でいっぱいになっていた。自分が変わり者なのかもしれないということに気づいたのはこの頃だった。20代前半の時の話である。
私の心を奪ったパーカー。大好きな彼が胸元にいてくれる
「ティラノサウルスになりたい」は流石に、若かりし私の言葉足らずがひどいと今ならば言える。つまり、わかりやすくいうと、会った瞬間に「勝てないなぁこれは」と思ってもらえる人間になりたいと思っていた時期があった。ということだ。
わかりやすく文字に起こしたところで結局、とても極端で奇妙なことを言ったことになる。
周りの大人たちは『はいはい、若い子がなんか言っているよ』と思っていたのだろうし、
今の私が聞いても同じことを思うのかもしれない。しかし、本気でそう思っていた時期が私にはあったのだ。
大学の友達の誕生日プレゼントを買うために立ち寄った、お気に入りの雑貨屋さん。
そこで何気なく手に取ったパーカーに私は心を奪われた。
映画「ジュラシックパーク」のロゴが印刷されたパーカーだった。
私は友達のプレゼントそっちのけでそのパーカーを手にレジへ向かっていた。ロゴのマークが映えるグレーの、裏地がモコモコで肌触りの良いとても暖かいパーカーだ。
そして何よりも、大好きなティラノサウルスが胸元にいてくれる。それを着るだけで気持ちが上がるし、私のことを守ってくれているような気さえした。
勇気や元気をもらう。「ここぞ!」のときに力を借りることにした
しかし問題があった。だからといって着過ぎると傷んでいくのも悲しいということ。
だから私は「ここぞ!」というときに力を借りることにした。
例えば、人前で何か話さなきゃならない時。例えば、喧嘩した人と仲直りする時。例えば、朝起きて仕事に行くのが辛い時。とにかく勇気がほしいときにはいつも着ていった。
そしてドキドキ高鳴っている自分の心臓を彼に守ってもらっていたのだ。
力を借りた後は必ずティラノをオシャレ着洗いする。いい香りになったそれが部屋で揺れる瞬間を見るものもまた、良い。「よくやったな」と褒めてもらった気持ちになる。
私はもしかしたら、ティラノサウルスになりたいと今でもどこかで思っているのかもしれない。いや、むしろこれは、恋をしているのかもしれない。
しかし、太古に生きていた、しかも生き物的に私とは全然違い、しかも絶滅してしまった憧れの彼に恋することはおろか、私は一生、なることもできなさそうなのだ。
ならばせめてと、胸元に彼を置くことで、勇気や元気をもらっている。
そしていつの日か、若かりし日に自分で宣言していたように。
彼がいなくても、しっかり立っていられる、せめて佇まいだけでもティラノサウルスでいられるようなそんな強い女になってやるんだと、窓際に悠然といる、良い香りの彼に静かに誓っている。