椿の花は、咲き誇る姿から最後に落ちる姿まで美しい

私は冬になると、落椿(おちつばき)を見てその姿から勇気をもらいます。

毎年12月頃になると光沢のある緑色の厚い葉っぱの中から顔を出し、大きく綺麗な花を咲かせる椿。そして、その大きくて存在感のある赤い椿の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙遜な美徳」。この花言葉はまさに、葉の間からそっと顔を出しつつも、その強い存在感を感じさせる椿そのものが表現されているのだと思います。

また、椿は花びらがくっついているため、他の花のように花びらが1枚1枚散ることはなく、その美しい姿のまま落ちます。この姿から「落椿は首から落ちる姿が斬首を連想させる」と言われ、不吉だとされているのは事実ですが、私はそうは感じません。

私は椿の咲き方自体も大好きなのですが、この落ち方こそが勇気をもらえる姿なのです。咲いている姿も美しく、落ちてもなお美しい。椿の花は最後の最後まで美しい姿のまま。この姿を見ていて、いつしか「椿のように最期まで強く美しい女性でありたい」と思うようになりました。

昔は外面を気にしてばかり。素直になれない自分が嫌だった

「美しい」という言葉にはいろいろな意味があると思いますが、私の思う美しさとは、外見や容姿の美しさではなく、内面的な美しさのこと。自分を誰かと比べたり、人を羨んだり僻んだりするのではなく、自分自身と正直に向き合えて、自分の気持ちに素直になれる人。そして、どんな時も相手の立場に立って考える姿勢を持ち、人に対してきちんと感謝を伝えられる人。

実は私は数年前まで、この理想とは正反対の生き方をしてきました。無理に外見を磨こうとしたり、自分を他人と比べて卑屈になったり、自分の感情に素直になれず感謝の気持ちをしっかり伝えられなかったり…。そしてそんな自分自身がまた嫌になる、という悪循環の中にいました。

しかし7年前、22歳の時に発症した「線維筋痛症」をきっかけに考え方が大きく変わったのです。全身が酷く痛むこの病気。最近では著名人の方々が公表したことで少しずつ認知されてきた病気ですが、当時は広く知られておらず、私自身も発症当時は聞いたことがなかったため、インターネットで何度も検索し、病気について調べました。

でもそこに出てくるのは、若くして車椅子生活を強いられている方や、寝たきりの生活を送られている方々の症例やブログばかり。検索すればするほど先の見えない不安が私を襲い、毎日検索しては泣いていたことを覚えています。

病気に苦しむ私を励ましてくれた、美しくて強い椿の花

しかしそんなタイミングでたまたま放送していたテレビ番組で、「椿は咲いている間も、そして散ってもなお美しい」と椿の花について特集をしていました。「そうだ、まだ何も分からないのに、泣いていてもしょうがない」…私はその椿の姿を見て「どうせ生きるなら後悔のないように美しく毎日を生きよう」と決心したのです。

それから私は自分を人と比べることをやめ、自分の感情に素直に生きてきました。これを急に変えることは決して簡単なことではありませんでしたが、毎年冬になると、控えめながらもその強さを見せてくれる椿の花。そんな椿の花の強さと美しさに勇気づけられながら、少しずつではありますが私自身もそれに近付けてきたような気がします。

家族や周りの方々のサポートのおかげで、病気自体は比較的軽度で済み、現在は寛解状態となりました。絵に描いたようなタイミングで私を励ましてくれた椿の花には、本当に感謝しています。

そして、これからも私を励まし、勇気を与え続けてくれるでしょう。