高校生になって、Twitterを初めて使いだした。
はじめはネットの中に広がる無数の情報の海にとてもわくわくしていた。海の中では毎日いろいろなことが起きるので、何も起こらない日常より刺激的で、楽しいと思えた。

友情とは無縁の、単なる情報収集用のアカウントを作った

残念ながら私の高校は、進学校ではなかった。中学校で不登校児になった私が進学できる高校は、たった2つで通学できる高校は1つだけだった。1つでもあるだけマシだったのかもしれない。

進学校ではない高校から、大学へ行くために初めて、バイトをした。バイトをしたお金で、予備校に通った。
他の子は、別のクラスの子と遊びに出かけていた。そういった子達がバカバカしく思えて、そういった友情とは無縁の、単なる情報収集用の【アカウント】を作った。

お金がなかったから、服を安く買うために、ファッションブランドの支店の【アカウント】もいくつもフォローして、リニューアルオープンや閉店セールは必ずチェックするようにした。ファミリーセールに行きたくて、ブランドのショップ名や、運営する母体の会社を覚えたのは今思うと、いい経験だった。
おかげでかわいい服が安い値段でいくつも買えた。そのTwitterの使い方はとても良かった。充実していた。

裏垢を見るためのアカウント。毎日、監視しないと気がすまなかった

問題だったのは、もうひとつの【アカウント】だった。一人の子が「裏垢をつくったからそっちでフォローする人はするねー」と言い出した。

私はフォローされなかった。だから、彼女の裏垢を見るための【アカウント】を作った。人生初の【裏垢】というものだった。
【裏垢】を見るためには段取りがあって、それがなかなか難しい。けれど、1度知り合いにフォローされてしまえば、そのほかの子も次々フォロバされていくのは、とても不思議な現象のように思えた。
直接その【アカウント】の人を知らなくても、あの子のフォロワーだからという理由だけで信じる理由になるのだ。

彼女の【裏垢】には、直接的な私の悪口はなかった。けれども直接私をフォローしていないという事実が、私には、【裏垢】に書いてるもの全てが猜疑心のナイフのようで「お前のことが嫌いだ」と言っているような気がしてならなかった。だから毎日、監視しないと気がすまなかった。それは私の心を徐々に、けれど、分かりやすく蝕んでいった。

ここ数年、SNSから距離をとって被害妄想のようなものは落ち着いた

別に好きでもないのに毎日、つぶやきを見ては、どこかで私の悪口が言われているのではないだろうかという妄想に取りつかれた。
マークシートの細長い丸を黒く塗りつぶす度、私の悪口も増えていると思えて、涙が出た。マークシートが塗り潰せなくなって、寝れなくなった。

実はそれから何年もたった今も、薬なしでは眠れていない。被害妄想のようなものは、ここ数年、SNSから距離をとったことで落ち着き、ようやく日常を送れるまでになった。全てが全て、スマホのせいでもないし、SNSのせいでもない。メディアのせいでもないし、情報のせいでもない。だけど、私の脳細胞には情報を処理するための限界がある、と身に染みて感じている。機械のように感情を感じない訳でもない。だから、文章を見て、苦しくもなる。だからといって、ずっとそれを見続けなくてもいい。機械を使うのも人間なのだから。

機械と、その中に生まれた新たな社会との向き合い方を、また今日も一日、私は考える。