つい最近、Twitterのとあるアカウントを消した。母校の後輩向けの発信アカウントである。

一番積極的に動いていた自負があった。そんな時、同級生を思い出した

私は地元で一番の進学校に通っていた。住んでいる地域で知らない人は誰もいない凄い高校。その高校に通う生徒は、遠い親族や近所の人までが一目置く存在だった。いわゆるエリート、勝ち組だ。出身中学校で成績オール5、一教科90点以上が当たり前の人たちが入る学校なのだから。でも、いつまでもそうとは限らない。名前だけで進学先を選び、大学入学後に燃え尽き症候群になって授業を真面目に受けずにバイトやサークルに溺れる卒業生も少なくなかった。

私は必ずしもそうではなかった。第一志望の大学に落ちた悔しさというのもあるが、大学入学後も腐らずに勉学に励み、課外活動も率先して行った。沖縄の離島でボランティアをしたり、長期留学に挑戦したり。高校の同期の中で一番積極的に動いていた自負があった。

そうして活動していくうちに、同じ教室で一緒に学んでいた同級生を思い出した。地頭はピカイチなのに、それをフル活用していない彼ら彼女らにモヤモヤしてしまった。帰省等で再会する度に、話が合わなくなっていくのが辛かった。数年前までは、一緒に励まし合って頑張っていたのに。

アカウント開設。ネガティブな反応もあったけれど、後輩に感謝された

燃え尽き症候群になってしまう理由を考えると、大学生になったらどんな経験ができるのかを知ることができる環境でなかったからということに気づいた。せいぜい、オープンキャンパスの「きれいな情報」や第一志望校に合格した卒業生の「合格までの体験記」ぐらいだった。

いくらデジタルネイティブといわれる世代でも、身の回りではネットは情報収集ではなく娯楽としての利用が中心だった。〇大生YouTuberの話や大学生の良質なブログなどを閲覧して大学進学の参考にする考えなどなかった。

だから、「自分の大学生活を発信することで、母校の後輩の進路選択をよりよくできるのでは」と考えてTwitterのアカウントを開設した。大学1年の終わりのことであった。

色んな事を発信した。高校時代の勉強法、大学の授業の様子や学食、課外活動の報告、留学先でのエピソード。自分が高校生だったら知りたかったであろう情報を挙げまくった。いいねもかなり押してもらえた。DMや返信機能で、「〇〇先輩のように大学入学後も頑張りたいです!」や「受験失敗しちゃったんですけど、先輩の投稿を見てやりたいことが一番だと思えました」などといったポジティブな反応が返ってくることも多かった。

一方「負け組のくせにうるせえよ」など、いわゆる誹謗中傷的なコメントが来たり、フォロー外の後輩から「自分語りマジうざい」とつぶやかれたツイートがバズっていたりしたこともあった。そのようなネガティブなものを見るたびに、やめようかと思った。でも続けた。その甲斐があって、大学入学後に相談してくれた後輩と会ってお話をしたり、大学生活に悩んでいる後輩に学生団体等の紹介などをして感謝されたこともあった。今振り返ると良かったことの方が多かったのかもしれない。それでも、今ではそのアカウントは存在しない。

過去目線に耐えられなかった。ただのノイズに過ぎなかった

私がやめた理由は二つある。

一つ目は、大学院進学のために他人の将来よりも自分の将来を考えなければならないからだ。Twitterする時間を研究テーマを考えたり文献を漁る時間にしたかった。

二つ目は、発信垢を続けることが自分を後ろ向きにしていたからだった。

高校の後輩への発信だと、どうしても自分の過去目線が必要になってくる。この時期にどのようなことを考えていただろう、どんなことを学んでいただろうと別に振り返らなくてもよいものを無理やり振り返ることもある。さらに、自分にとってトラウマな大学受験のことも回顧しないといけない。将来が見えない不安があると同時に、過去の不安も持たないといけない状態が耐えられなくなってしまった。

それと、もう一つ。結局、革新が保守を変えることは困難だから。情報リテラシーが十分とは言い難い高校生に、しかも「とりあえず〇〇大に行けば大丈夫」みたいな古い進路指導を未だに続けている学校の生徒に「やりたいことを見つけよう!」「大学でできることはこんなにあるよ!」と伝えることはただのノイズに過ぎない。彼ら彼女らにとって、そんな情報を仕入れるなら、黙って赤本や25カ年、鉄壁をやっていた方が有益なのだ。おそらく、合格後に後悔するのだろうが。

さようなら、私のツイートを見てくれた後輩たち。やめた今だからつぶやくけど、自分を持ってないと周りに流されるよ。だから...自分で考えることも大切だよ。(送信)