恋人いない歴を堂々と更新し続ける今日この頃、自分の服の系統が変わりつつあることを感じる。甘さが消えたのだ。
昔は、ゆるふわなファッションが大好きだった。淡いピンクなどのパステルカラーのブラウスやニットに、花柄のスカート、ふわふわなワンピース。アクセサリーは花柄のバレッタやフリルをあしらったもの。可愛いお洋服やアクセたちは、低身長で童顔な自分にとって、自分を可愛く見せるにはもってこいだった。
「奈都ちゃんの服、ふわふわしてて好き」と付き合っていた相手に言われたこともある。歴代の恋人から貰ったプレゼントは、面白いことにどれもハートがモチーフのアクセサリーだった。そのくらい、「ゆるふわ」は自分のアイデンティティだった。
大学生活は、恋人を作ることには目も暮れずに、留学やインターン、学業に専念しまくった結果、気が付いたらとっくに折り返しを過ぎていた。
「一女(一年生の女子)じゃないと恋人はできない」とかいうけれど、確かに学年が上がるにつれて恋愛のハードルも上がってきたような気がする。
お世辞や謙遜抜きで、自分の外見は平均より上なのは確かだ。
二重の幅がしっかりとした瞳、笑うとできるえくぼ、フルートで鍛えたきっちり上がった口角。多くの男性よりも10cm以上背が低いので、自然と出てしまう上目遣い。
バイト先でも、学校でも、サークルでも、「可愛いね」と言われることが多かった。
そのせいか、大学3年になると「奈都さんは恋人がいる」という前提でコミュニケーションを取られてしまう。
特に2020年はコロナ禍で恋愛感情が生まれにくい環境でもあるせいで、恋愛に全く縁がなかった。
あるときから「ゆるふわ」に嫌気がさした
「他人に可愛がってもらう」必要を感じなくなったせいか、昔は大好きだった甘いファッションに嫌気がさした。
逆に、自分が心地よいと思えるファッションに興味が出た。シンプルでナチュラルなものだ。白いニットにベージュの無地スカートなど、昔だったら「シンプルすぎてつまらない」とスルーしていた服達に目が行くようになった。
「自己イメージは、他者とのかかわりを通して作られ、変化していく」といわれることがある。
まさに、ファッションでもあてはまることだろう。本当は、自分はゆるふわが好きだったのではなく、他人に見られることを意識して、服装をゆるふわにしていたのだ。
他者への思いが強すぎて、自分が本当に好きなものがわからなくなっていた。
だが、恋愛しなくなってそれに気付けた。自分が好きなファッションは、こういう「ありのままの自分」を表現できるものだったのだ。
それでも、ゆるふわの服を全て捨てることはできない。きっと、また恋愛をするようになった時に「勝負服」として着たくなるかもしれないからだ。勝負服は箪笥の奥底にしまって、今日も私はシンプルな服に袖を通す。自分軸だけで思い切り自由にファッションを楽しみながら。