人はよく私に「意外」「それっぽくない」という。
私は人よりだいぶ小柄だ。
学生の頃から、社会人となった今になっても小動物に似ているといわれる。
背が低いことは抵抗しようのないディスアドバンテージだ。
人より低ければ低いだけ、少し困ることも多い。
映画館では前の席の人の頭がしょっちゅう邪魔をしてくる。
人波の向こうだってろくに見通せない。
人ごみでは大抵の人が避けずにぶつかってくるので、私は右に左に蛇行しなければいけない。
電車のつり革もろくに届かない。後ろに立った人に肩をスマホ台にされることもある。
つり革につかまっていた人の肘が頭にコツコツ当たることも多い。
だけど、こればっかりは仕方がない。足掻いてももう背は伸びない。
それに、背が高い人は背が高いなりに苦労しているのだとよく聞く。
小柄なのにブラックコーヒーや絶叫マシンや青が好きだと「らしくない」
ただ、どうしても納得いかないことだってある。
私はどうにも小さい「らしくない」らしいのだ。
ブラックコーヒーが好きだ。絶叫マシンも得意だし、バンジージャンプも楽しめる。そういうと人はたいてい意外そうな顔をする。
そうして決まって「意外」「それっぽくない」と言われるのだ。
対して、可愛いぬいぐるみが好きだ。テーマパークが好きだ。童話が好きだ。子供だって好きだし、花を見るのも大好きだ。そうするといつだって、いかにもそれ「らしい」と言われることがほとんどなのだ。
見た目のらしさと食い違うところが多々あるらしい私は、たびたびその不思議な食い違いに振り回された。
一番好きな色は青色だけれど、私に渡される色はいつだって赤かピンクかオレンジ色。
貴方に似合うのは暖色。寒色じゃないの。
そう言われたのは成人式の振袖を選ぶ時だ。
それはわかる。わかるけれど、少しぐらい着てみたかった。
試着ぐらいさせてもらいたかったのを、よく覚えている。
ホラー映画が得意だ。スプラッタも平気だ。
だけど、これもちょっと違和感があるみたいでやはり「意外だね」と言われる。
意外だといわれるたび、なんだか自分に「似合ってない」と言われているようで、いつだって返事に困ってしまう。
ダメだおかしい、とまでは言わないけれど、それでも否定されているような気持ちになるのだ。
らしくない私をらしくするために、今日も私らしく
そもそも、らしいさってなんだろう。
小動物のようだと言われる私には、柔らかい暖色と温かな色のミルクティやカフェオレが似合うと人はいうのだけれど、それはどうにも私らしくない。
私らしくないのに、それが私らしいと人は思っている。
あべこべででこぼこで、なんというかすっきりしないのである。
けれど、友人たちはそんな私に「らしいね」と言ってくる。
青い色が好きなことも、ブラックコーヒーが好きなことも、ホラー映画が好きなことだって。
付き合いの長い友人であればあるほど、誰もが「らしい」と言ってくれる。
社会人になって、付き合いの長い友人が出てきてから、そんな機会が少しずつ増えてきた。
それはきっと本当の私らしさを理解してくれる人が出てきたからなのだろう。
そうすると、私は職場でよく言われる「意外だね」ににっこり笑えるようになった。
らしくない私の、らしい個性をもっと大好きだと思えるようになってきた。
いつか「意外だね」といったその人が、「らしいね」と言ってくれる日がまた来たらいい。
そう思うようになった。
らしくない私をらしくするため、今日も私は出来る限り私らしくありたい。