私は高校生のとき、常々「つまらない」と愚痴っていた。
したいことも特にない、何をしたいかもよくわからない。
日々を何のモチベーションもなくとりあえず怠惰に過ごしていた。

現状を変える努力もせず、日々に不満をたれていた自分が情けなくなった

高校で習った微分積分は何のためにしているのかわからない上、何をしているかもわからない。
ただただ覚えた公式を使って与えられた問題を作業的に解く日々。
テストは直前に詰め込み。もちろんいい成績は取れなかった。

真面目に勉強をしていい点数を取る友人。部活や課外活動で何かを成し遂げる友人。
傍らで何も目的を持たず、怠惰に過ごす自分。何もない自分。空っぽの自分。

他の人は運よく功績を得たのではない。長い期間をかけて努力して得た人ばかりだった。彼らはとても輝いて見えた。困難にぶち当たってもめげず立ち向かう姿はとてもかっこよかった。
ただただ、現状を変える努力もせず、言い訳ばかりし、現実から目を背け、日々に不満をたれていた自分がとても情けなくなった。
自分も変わりたい。そう感じた。

つまらないと思ったものは、自分が理解をしていないだけ

とりあえず目の前にある勉強に一生懸命取り組んだ。
私はとても要領が悪かった。理解にはとても時間がかかった。
しかし、分からなかったものを理解した瞬間、とてつもない快感を覚えた。時間がかかったものほど大きな喜びを得た。
つまらない。と感じていた勉強はいつの間にか日常をより面白くしてくれるもの。に変わっていた。
知る前と知る後では世界の見え方がまるで違った。
料理は化学で、歴史を知っていれば世界情勢などが根本から理解できる。
そう気がついた瞬間、今まで暗号のようだった教科書が宝の地図のように変わった感じがした。
楽しくない、つまらないものは本当にそうだったのではなく、自分が理解をしていないだけ、理解すらしようとしていないだけだったのだ。

つまらない=解らない。
そもそもそれについて知りもしないのに良さなんてわかるわけない。
良さがないからつまらないのではなく、良さに自分が気づけてないからこそつまらなく感じてしまうのである。
だからつまらない、意味がないと感じた瞬間、厭い、退けてしまうことは新たな良さに出会うチャンスを逃しているということだ。

難しい統計学。苦しみつつもワクワクしながら勉強している

今まで意味のないと感じていたことが実は日常に潜んでいると気づいた時。何か人の秘密を知ってしまったようなちょっとドキドキ感とワクワク感。私はこの感覚を「つまらせる」と呼んでいる。

私は今統計学にとても関心がある。統計学を理解するには高校の時に一生役に立たないと感じていた微積などの知識が必要と知った。「いや、ここで使うんかい」心の中でそう叫んだ。以前の私だったら「微積まじ無理」と言って投げ出していたところだろう。だが今の私は一味違う。これ理解できたら見える世界が変わるのではないかそんな期待をし、ワクワク。自分すごい人になれちゃうじゃん、とすら感じている。

正直難しくてかなりしんどい。しかし前とは少し違った。理解できた時はあの何とも表現し難い爽快感を味わうことができるのだと。それを期待しつつ苦しみつつもワクワクしながら勉強している自分がいるのを感じている。

私は2021年を「つまらせたい」