「研究者になりたい」それが私の小学生の頃からの口癖だった。

きっかけは日本人のノーベル賞受賞だったかもしれない。あるいは、根っからの勉強好きだったからかもしれない。あまりよくは覚えてないが、とにかく私はなんでもいいから研究者になりたかった。中学、高校、大学と進むにつれて、興味のある学問が徐々に狭まり、そして研究室配属が決まる頃には明確に決まっていた。

「諦めなければ夢は叶う」のその先は…

思い返すとそのためにどれだけの努力をしただろうか、理系が苦手で文系に進むことを考えた。浪人もしたし、大学の課題がわからず友人に質問したら「もっと勉強しろ」と怒られたこともあった。それでも諦めきれずにここまで進んできた。だからこそ、無事行きたい研究室に決まった時は、「諦めなければ夢は叶うのだ」と号泣したものだ。

「ふつうはなかなかそんな人いないよ。やりたいことやれるのはラッキーだよ」たくさんの人にそう言われた。
しかしだんだんこの言葉が足かせにもなっていった。やりたくてしょうがなかったものが、やらなくてはならないことになっていったのだ。

そして、それだけではない。とんでもないブラック研究室でパワハラを受け、気がつけば研究室に足が向かなくなってしまったのだ。そんな時に今の教授が救ってくれた。しかも、その研究室に移動させてもらえだけではない。先生がわざわざ私の興味のあるテーマを持ってきてくれたのだ。私はこうして研究室を変えた今も、ずっと希望していた研究をやれている。

運命だと思った。この研究をやり遂げ、革新的な成果を出し、人々に貢献することが私の生まれてきた使命なのだと。そう思った。

OB訪問で言われたのは「誰もやったことないことをすること」だった

私はそのまま就職活動期に突入した。博士課程に行くべきだという人もいた。確かに私も悩んだが、悩んでいるからこそ、行動をした。そうしていると、とある企業の研究職にたどり着いた。かなりレベルの高い企業だ。でも先輩の入社実績もあり、狙えなくはない。そのためには成果を出さなくては、論文を読み勉強をしなくては、そう思った。

ある時OB訪問をした。話を聞けば聞くほど魅力的だった。しかしながら、あまりの力量の差に驚き、思わず「今の私はあと何をすればいいか?」と聞いた。返ってきた答えは、誰もやったことがないことをすること、だった。

研究とは「気がついたらやっているもの」なのでは?

私はそこで自分の人生を振り返った。誰もやったことないことは、十分すぎるくらいやってきていた。でもそれは、研究に関することだろうか?そして研究に関する何かを今からやる気力はあるだろうか。
そこで気がついた。

私は研究をする時間よりも、研究のことを話す時間の方が楽しかったのだと。「先生からパワハラを受けたから実績がない!本当は研究に向いているんだ!」そう言い聞かせてきたが、果たして研究室を変えたあとも頑張ってきただろうか。そもそも研究とは頑張るものではなく、気がついたらやっているものなのではないだろうか。

夢は諦めた。だけど、それは自分で選んだこと

この時私は明確に夢を諦めた。その日は研究室配属が決まった日と同様に泣いた。今まで小学生からの夢を追い続け、それに縛られ逃げられなかった。あと一歩手の届くここまできて、いやむしろ来たからこそ、自分には無理だと悟ったのだ。

それでも私は思う。私は勝ったのだと。夢は確かに諦めた。でも私は他人からの評価ではなく、自分自身で納得して選択したのだ。これはふつうを超えたことにならないだろうか。「夢を諦めるな」その言葉の真の意味とは、自分で選択しろ、他人のものさしで決めるな、そういう意味ではないかと私は思う。