私には、「ものすごい愛」が分からない。私には一生かかっても理解できないのではないかとさえ思うほど、私は他人に興味が持てない。ただ、思い返すと、とある女性の言動を「愛」だと感じた経験はある。
15歳の私は音楽室の廊下に1人たたずむ空気だった
15歳の放課後、私は誰からも声をかけられず、誰の視界にも映らず、どのグループにも属せず、音楽室の廊下に1人たたずむ空気だった。セーラー服のポケットには最近吸い始めたタバコの箱と密かに気に入っているピンクのライターが入っていた。私は音楽室のある建物の裏側がゴミ捨て場だと知っていたし、ライターでどのように火をつけるかも知っていた。
当時私はテレビドラマでよく見るような、陰湿ないじめにあっていた。無視され、仲間はずれにされていた。誰も私と話をしない。テレビドラマはそんな状況をさも苦しく辛い日々として描くが、実のところ、当事者の私はそう辛いわけでもなかった。私は自分の置かれた状況を心の奥底で微かに「こんなもんか…」と思っていた。
たまたま顔を見たら話をする、その距離感が心地よかった
ただ、とある女性だけは、私とごく普通の会話をした。その女性はひりつくような美しさのある、素敵な人だった。彼女と知り合い、話をするようになったが、毎日年相応につるむわけでもなく、SNSなどでやり取りを頻繁に繰り返すわけでもなく、たまたま顔を見たら話をする程度だった。私はその距離感が心地よかった。
一度だけ彼女とともに出かけたことがある。といっても15歳の女性2人が出かけてすることなど、映画を観てショッピングをしてカフェで語るくらいがせいぜいで、ムードもなにもなかった。
その夜、彼女の家に行き、夜中まで話したことを覚えている。いつもはどこか俗世離れしていて近づきにくい雰囲気のある彼女も、その日は不思議と同い年の女性のひとりなのだと思えて嬉しかった。タバコを吸うことなど忘れてしまうくらい楽しい夜だった。
彼女は「みどりだけは男と結婚しないと思っていた」と言った
そんな週末を過ごした翌日の月曜日だった。
「みどりだけは男と結婚しないと思っていた」
おそらく、学生同士の他愛無い恋バナの途中だったと思う。誰と付き合うとか別れるとか、そんなくだらない話の延長だった。同じ吹奏楽部の女生徒が、最近人生ではじめての彼氏ができたと、楽しそうに私に話しかけてきた。初々しさは、傲慢で独りよがりで失礼で残酷だ。彼女たちのグループでは存在すらしていないはずの私は、話を振られて心底慌てた。
「ねえ、みどりは好きな人いる?結婚したい人とかいる?」
慌てた私は平静を装って、
「今付き合ってる人はいないけど、話してて楽しい人と結婚したいかな…」
と無難な返事をした。
すると例の彼女が、ごく自然に、でもはっきりとした低い声で私に言った。
「みどりだけは男と結婚しないと思っていた」
彼女の静かで暗い目を見て、私は音楽室を燃やすのを諦めた。
私は嬉しかったのだと思う。
彼女のような、真冬の夜のように冴えた美しさを持つ人が、まだ15歳の私の人生全てを思うままに縛ろうとしていた。その身勝手な傲慢さと愚かさが、とてつもなく嬉しかったのだと思う。
あれから10年経った。
私は罪を犯すことなく、無事大学まで卒業した。禁煙にも成功した。相変わらず他人への興味はほぼ無く、結婚願望も持てない。彼女とは中学校を卒業した後、一度も会っていない。