生きていると、「これが無かったら、今の自分は無い」と思うような出来事に遭遇することがある。私にとって、それは高校を辞めたことである。真面目で、成績は良くも悪くもなく、人間関係のトラブルもない。そんな私が、アウトローなことをするなんて、私自身を含め誰も想像しなかった。

臨戦態勢を取り続けなければならないことが、一番つらかった

もう、ただただ疲れてしまったのだ。一歩、学校に足を踏み入れると、監獄にいるかのように感じられた。常に周りを気にして、話しかけられれば必ず答え、次々と変わる話題に置いて行かれないように、常に臨戦態勢を取っていた。今思えば、臨戦態勢を取り続けなければならないことが、一番つらかった。特に、休み時間と下校は、誰かと一緒でなければならない、会話をしなければならないという、謎のプレッシャーがあった。会話が苦手な私にとっては、もう、苦行でしかない。そういうことが重なって、耐えられなくなってしまった。物凄く頑張れば、和やかな会話を成立させることも出来るので、頑張れなくなるまでは、そこそこ楽しそうにやっていたと思う。おそらく傍目には、何をそんなに追い詰められることがあるのか、という感じに映っていただろう。

高校に行かなくなってからは引きこもり生活が始まり、人生で最大の落ち込み期を迎えていた。その時期は、とにかく全てが重かった。常に身体と心に重しを付けられているような感じで、人生で初めて、重力を重たいと感じた。そんな毎日を過ごしていたが、ある時、親が勧める定時制の高校に入ることになった。ほとんど流れで決まったので、特に強い思い入れもなく、入学してからも一年くらいは相変わらずの不登校&引きこもり生活だった。先生も懇談で、卒業は難しいと親に漏らしていたらしい。

私に初めて「学校って楽しいこともある」と思わせた人達

変わったのは、入学して二年くらいが経った頃。いつの間にか、学校が楽しいと思えるようになっていた。今回は、初めて私に、「学校って楽しいこともあるんだ」と思わせてくれた人達を紹介したい。先に断っておくが、これから紹介する人達と私は、一切交流がない。ただ、私が一方的に見かけてファンになった人達である。なので、私の美化フィルターがかかっていたり、独断と偏見で憶測をしていることを考慮してほしい。

私が定時制高校で学んだことの一つが、定時制の学校で一番元気なのは高齢者だということだ。私の通っていた高校は、結構人気のある学校で、高齢者も多数在籍していた。教室の中で一番発言するのは、こってりした大阪弁を喋る「ザ・大阪のおばちゃん(おばあちゃん?)」だった。このおばちゃんと張り合う存在感を放っているのは、喋りだすと止まらない、お喋りが大好きな男の子である。この男の子は、先生が「この問題分かる人?」という質問を投げかけたときに、手を挙げて「分かりません」と発言した強者である。この二人が、教室のムードメーカー的な存在だった。欝々としていた私を、何度もニヤリと笑わせてくれた。

七十代か八十代のおばあちゃんがいた。正確な年齢は知らない。初めに断った通り、この方とも交流はなかったため、どういう経緯で入学したのかも知らない。この人は、いつも、手押し車を引いてゆっくり歩いていた。特に印象に残っているのが、体育の時間に体操服を着て、私と同じ空間で先生の話を聞いていたことだ。不思議だった。

私の今までの経験では、運動場で、同じ体操服をきたおばあちゃんと体育の授業を受けたことはなかったからだ。彼女がゆっくり確実に歩く姿からは、頑張るとか成果を出すとかでなく、生きることは、全ての経験を積み重ねることだと教えてもらったように思えた。別の時には、体操服を着たおばあちゃん達が楽しそうにはしゃいでいる光景を見たことがある。「最後にこんな風に笑ったのは、いつだろうか」と思った。学校が嫌いになってからは、学校で手放しに楽しみ笑うことができなくなり、高校に行かなくなってからは、どこに居ても心底楽しむことが出来なくなった。偶然見かけただけの、見ず知らずの人の笑顔に、楽しむことを許された気がした。

定時制高校での体験は、きっと一生の宝。出会った人達は、人生の恩人

全く喋らない女の子もいた。彼女は、とにかく喋らなかった。たまに友人と会話している光景を目にしたが、授業中の発言や、先生との会話はほとんど無かった。もしかしたら、喋れない事情があったのかもしれない。それでも、先生に当てられても一切答えようとしない姿は、私の眼には物凄くカッコ良く映った。いつも、ばっちりおしゃれをしていたこともあるのかもしれない、「誰にも文句は言わせない」というような隙のない雰囲気があった。常に、「仲の良い友達を作らないと」「楽しそうに振舞わないと」と考えていた私にとって、彼女はヒーローのような存在だった。彼女を初めて見たとき、「喋らないことの何が悪いんだ、楽しくないことの何が悪いんだ」という言葉が頭に響いた。大袈裟ではなく、この時、私は彼女に救われたのだ。彼女が何か発言したわけではないし、特別な素振りを見せたわけでもない。ただ、彼女がそこにいることが、私に勇気を与えてくれた。

私が定時制高校で体験したことは、きっと一生の宝だと思う。私に一方的に感謝をされても困るだろうが、あそこで出会った人達は、人生の恩人だと思っている。この機会に恩返しができるなどとは考えていない。ただ、私が出会った素晴らしい人達を、多くに人に知ってほしいと思う。ただ、生きて、出会って、学ぶということがどれだけ尊いことなのかを見せてくれた。「ふつう」になる必要はないし、「ふつう」を超える必要もないと教えてくれた人達だ。