ふつうになりたかった子供時代を送った。

「みんな」という集合体が「ふつう」を知っている不思議な世界

トラックの集荷基地と田んぼとがモザイクを描く衛星都市のはずれ。その中に突如ニョッキリと登場する真っ白な建売住宅で、わたしは育った。そしてわたしは自分の世界に夢中だった。だからこそ、他の人の生きる世界はどのようなものか考える余裕はなかった。クラスの女の子たちがSPEED、りぼん、たまごっちの全てあるいはいずれかに夢中になっているとき、わたしはカマキリを捕まえては彼・彼女に怒られ、ハコベを集めては校庭のウサギ小屋に献上していた。落ち葉と苔の隙間から生えるカタバミの様子を見るために校庭の四隅を巡回し、ついでに桜の木の下で忘れ去られたタイヤ跳び箱の上をジャンプした。

まわりの子供たちが持ち寄る「でも、変だよ。ふつうはこうだよ」の感覚は、とても難しかった。こんな困難なことを、みんな簡単に通過しているのか…がんばらなきゃ。「なんで仲良く遊ばないの?」と心配顔で問う担任を納得させるくらいに武装された言葉も、用意できなかった。そうか、一緒に遊ばないといけないのか…がんばらなきゃ。

まるで自分以外のクラスメイトたちが、「みんな」という集合体として、全員同じ景色を見ているように感じられた。一人だけ取り残されたような気がして寂しかったから、わたしも同じ立ち位置から世界を眺めて同じ喜びを共有できる誰かがほしいと思った。それから懸命に「正しい」小学生のかたちになろうとした。勉強はクラスの誰よりもがんばったし、キラキラして見えた部活や委員会に入って、雑誌に載っている手書き文字や言い回しを練習した。みんなわたしのために、良かれ、と思って色々教えてくれた。その枠に自分を当てはめ、みんなと並ぶことができたなら、さぞ温かく気持ちがいいだろうと思い描いて努力をした。

大切なのは「わたしのふつう」を大事にしつつ他人に押し付けないこと

「ふつう」になる努力が実を結ぶことはなかった。中高も大学も就職活動も全部うまくできなくて、ゴールが見えるまえに心が疲れ果ててしまったからだ。ただ、周りを見回すと、正しさを振りかざして殴ってくる人もほとんどいなくなっていた。みんな自分のことで精一杯で、わたしが一人違う場所に浮いていたとしても、眼中に入ってもいない。

がんばれなくなっていたわたしは、これ幸いと、誰も自分のことを知らない場所に行くべくバックパッカーを始めた。その旅上で常識を壊される様々な体験をし、その感覚と経験を記録しておくために写真を始め、世界の多彩な文化を深く知りたくなって人類学を学んだ。

それから一人でバックパッカーをして常識を壊される体験をし、その感覚と経験を記録しておくために写真を始め、世界の多彩な文化を知りたくなって人類学を学んだ。

そうやってようやく獲得した知識と視点、それから言葉。それらが形づくる扉をくぐった先で、幾人もの聡明な人に出会った。彼ら彼女らは自分が愛し、また自分を愛するものを知っていて、それを守る術と理由も持っていた。

ふつう、という言葉で自分の見ている景色をくくると、それは強固に自分の世界を肯定する。間違っていない、と安心することができる。人間が自信をもち心安らかに生きるための方策としては、とても優れている。世の中に共通項を見つけ、協働をより滑らかなものにしようとしてきた先人の知恵だから多用される言葉なんだろう。でも「わたしのふつう」を生のまま持ち出し、「みんなのふつう」として振り回すと、途端に苦しくなる人がいる。ふつう、という言葉がはらむ暴力性を理解して、うまく付き合って行くと、役に立つ。「わたしのふつう」はわたしだけが大事に抱きしめておく。そういう方法で身を寄せ合っている人たちだった。

わたしが発見したそれは、紛れもなく自分と同世代に息づく人間の姿だった。奇妙で楽しい大人の世界まで生き延びられたことを、うれしく思った。がんじがらめになっていた「みんなのふつう」を超えたんだ、大変だったけれどここまで生きてきてよかったな、と思えた。息を潜めている美しいものを探しながら、少し色合いや手触りや匂いが違う言葉づかいで世の中に対峙する、それがわたしの「ふつう」になっていった。

泣きそうな顔で世界をうかがっているあの子の手を握る

生を肯定できたわたしは、認知行動療法という方法をつかって過去の自分の記憶と感情に潜り込み、一つ一つ今の視点で解きほぐした。小さなわたしは自分の世界に満足していたけれど、「これがわたし、何か文句ある?」と他人の理想をはねのける自信や処世術なんて持ち合わせていなかった。今のわたしが迎えに行ってあげないと、ずっと他人に言われたことに振り回されて、オドオドと泣きそうな顔をしたままだった。

今はもう、「わたしのふつう」を人に見せることはこわくない。他人の「わたしのふつう」に敬意を払いつつも、それを幻想の「みんなのふつう」だと思い込むこともない。大人のあなたはそんな場所までたどり着くことができたんです。寂しさと後ろめたさに挟まれながら、あなたはよく頑張りました。他人に優しいその態度を、自分にも向けてください。自分の世界を好きになってください。そうやって自分の中にいる不安げな子供の手を握って暖かさを共有することで、大人のわたしも、やっと歩き出せる。