性格ヨシ! 仕事ヨシ! 自律度ヨシ! 価値観の一致ヨシ! 体の相性ヨシ! 全方位ヨシ!
そんな「少女漫画のヒーローのようなハイスペ男子」などという存在は幻想だと思っている。同時に私自身の性格として、結婚だの恋愛だの向いてないと思い始めた。
単刀直入に言うと「身内の甘え」が嫌いだ
私は母と兄と私の3人家族、母子家庭で育った。
この「兄」の存在が曲者だった。兄妹という関係性がさらに私を地獄の淵に突き落としていた。
兄はとにかく自分優位で甘ったれな内弁慶。自分が常に一番で、常に王様でありたい。でも周りには格好付けたいからいい顔をして猫をかぶる。
そして裏で、家に帰ってから周りの悪口や愚痴を延々と吐きまくるのだ。
母はその愚痴の陰気さにあてられていつもピリピリしていて、母と兄との喧嘩は日常茶飯事だった。食卓で勃発することが多かったからか。同じ空間を過ごす苦痛と緊張感の方ばかり思い出して、実家のご飯の味が、思い出せない。
結果的に喧嘩になる母への不満も含め、兄の愚痴は私に集中することになった。
さらには「兄」という立場を利用して、私に横暴に振る舞った。
部屋に勝手に入って机の上を漁って、私の漫画本を勝手に持っていく。
テスト前夜にも関わらず寝る直前に部屋の前までやってきて、好きなだけ自分のペースで話す。今思えば人権侵害も甚だしい。他所様に同じことができるのかと言いたくなる環境で育った。
そういった苦労をしてきたからなのか。
一般的にイレギュラーで後ろめたいと思うような境遇の話を聞いても、「そういう人もいるよね。大変だったね」とケロッと聞ける人間になっていた。
このことが私を結婚やロマンスから激しく遠ざけていると思う。
聖母を求めて、兄並みのダメンズばかり寄ってくるようになった
多少ヘビーな話でもウンウンと聞いてくれる人はなかなかいないようで、味をしめるとベタベタに甘えてくる。そうして「この人ならなんでも許してくれる」と錯覚するらしい。
そうなるとダメンズたちは「セックスできるママ」として消費し始める。
この段階で私の価値観と体の健康なんてどうでもよくなる。ただヤレればそれでいいのだ。傷付こうが病気になろうが関係ない。
ダラけたところが全て許されると思っているので、自身の自律とは無縁の長物となる。ただ甘やかしてほしいだけの、子どもでしかない。
そんな性欲だけ立派なオトナのために「子ども」という表現を使うこと自体が、子どもにすら失礼だと本気で思う。
ダメンズたちが聖母の幻想をみている間に、女としての私が秒速で冷めていき。人としての私の堪忍袋の緒が切れる。
そうして鬼と化した私に滅多撃ちに遭い、ダメンズたちは去っていくのである。
おひとりさまでも快適。だから恋愛の有無は生活にあまり影響しない
やりたいことは自分から見つけにいくから、概ね困らない。
むしろ自分を縛るものが一つ減るので、楽になることが多いかもしれない。
さらにいうと、子どもがほしいという願望がない。だから子作りのために「男という機能」に期待する理由もない。
そして男絡みの経験はロマンスを期待することができなくなるくらい、私を呆れさせた。
甘ったれな男どもに振り回されるくらいなら、社会的に有意義な仕事をする仲間とか、やりたいことを一緒にやりまくる友達と時間を過ごしたい。
それってもう、恋愛も結婚も、関係なくない?
そう思ってしまった段階で、結婚は向いてないなと思うのである。