去年の冬、26歳になった。朝ごはんがショートケーキでも大丈夫だった17歳の頃とは違って、朝ごはんにケーキなんて食べた日には、朝から胸焼けで太田胃散を飲まなきゃ耐えられない、そんな普通のOLになった。

憤慨したけれど、心の片隅で成る程な、って納得してしまった

私は、地方で営業をしている。クリスマスが近づいてるある日、お客さんに「クリスマスケーキって表現知ってるかい?」と嬉しそうに言われた。曰く、女性はクリスマスケーキに例えられていた。24日までが華で、25日過ぎれば売れ残り、それを女性の結婚に当てはめた表現だ。その時代なら、私は立派な売れ残りっていうことらしい。笑顔でそんな表現あるんですね。知らなかったです。って対応しながら、失礼な!なんて下品な表現だ!って憤慨した。けれど、心の片隅で成る程な、って納得してしまった。

私は、ちゃんとした恋人ができたことがない。26歳で元彼がいないという事実が、私のコンプレックスとして、ねっとりとまとわりついている。

14歳の私は、高校生になれば、彼氏が自動的に出来ると思っていた。17歳の私は大学で彼氏といろんな思い出を作ってるんだと思っていた。20歳の私は、社会に出れば、素敵な出会いがあるのだと思っていた。苺のショートケーキみたいな、甘い夢を見ていた。けれども、現実は、そんなことない。今は、会社と家との往復。いいな、って思う人がいても、付き合うには至らず、焦って体だけを繋げて、またね、の日々。お客さんが何気なく話して聞かせた女性をクリスマスケーキに例えた揶揄が一層私を焦らせる。

結婚報告に、ホールのケーキを投げつけたくなる衝動に駆られる

インスタを開けば、友だちの結婚報告。結婚式での2人の姿、彼に対して語る女の子たちはとても綺麗でキラキラしている。大好きな彼女らが綺麗になっていく姿を見るのは、本当に嬉しいはず。だけど、不意に、ぐちゃぐちゃに潰したくなるような、そんな衝動が生まれる。可愛いホールのケーキをパイ投げみたいに投げつけたくなる。そんな衝動がある。

彼氏すらいたことない私に、結婚ができるのか?まだ、大丈夫?私は、まだ若いはずだよね?って自分を宥めているけど、時々本当に虚しくなる。
嫉妬なんてしたくない、焦りたくない。結婚願望なんて、そこまでなかったはず。なのに、みんなと一緒じゃないことがここまで私を焦らせるのかと、26歳になって身に沁みている。

私が今欲しいのは、「パートナーがいる」「幸せだ」というレッテル

今の私にとって結婚は、幸せの象徴。私が今欲しいのは、「パートナーがいる」というレッテルだけ。「幸せだ」というレッテルが欲しいだけなのだ。女性は、クリスマスケーキに例えられる。古い言葉だなんて言いながら、呪いのように呟かれる。こんな日本では、結婚して子どもがいることが、幸せの姿なんだと思う。

某結婚情報誌のCMで「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」なんて、キャッチコピーが流れた。誰も傷つけない素敵なコピーだと思った。けれど、ひねくれた私は、そんな人に出会える人はどれだけいるんだろう。羨ましい。幸せになりたい。と少し悲しくなったのだ。

私にとって結婚は、クリスマスケーキみたいにキラキラしていて、憧れの存在だった。けど、今は少し胸焼けをする。ケーキの真ん中に拳を振り落として、ぐちゃぐちゃにしたくなるものだ。きっと、結婚は、クリスマスケーキみたいに甘いだけでない、キラキラしているものではないのはわかっている。わかっているけど、私は甘い夢を見ている。