「何、食べたい?」
これは、私が落ち込んだときに恋人が一番最初に聞いてくることだ。唐突になるが、私は「食」への執着がすごい。よく、食べることが好きです!という人がいるが比にならないくらいに食べ物が好きだ。

それを自覚したのは大学一年の頃だ。一度、恋人と喧嘩し本気で別れようと考えたことがあった。何度も謝る彼を目にしながら、バイト先のおばちゃんからもらった栗饅頭を口にした。そして頬張った途端に栗の甘さがじわっと広がり、美味しくて美味しくて喧嘩の最中だというのに思わずにやけてしまった。それを見た恋人は大笑い。その後に、結局和解した。何よりその栗饅頭事件からもう4年が経とうとしているのだから、驚く。

就職活動に悩まされた春、「焼き鳥が食べたい」と言った

とにかく、食べることが私にとっての幸福度を示しているのだ。
今年の春ごろ、就職活動に悩まされとにかく自尊心がボロボロになった。傷心し切った私を見て恋人は「何が食べたい?」と聞いてきた。私は生きる力をなくしたボヤッとした頭で泣きながら、「……焼き鳥。焼き鳥が食べたい」と言った。

翌日、叡山電鉄に揺られながら出町柳駅にいく。お昼に鴨川沿いでパンを食べて、帰りに焼き鳥の食材を買おう。と提案されたからだ。川辺で遊ぶ親子や、ジョギングをする夫婦、花見をする学生たちがゆとりのある生活を感じさせる。

私たちは互いに大学進学を機に北海道から京都へ越してきた。そんな私たちにとって、自然と人の暮らしが交差するこの場所は内に積もる考えをほぐす場所になっていた。今思えば、彼は私が心の整理をする時間を設けてくれたのかもしれない。

商店街で買ったパンを食べて、鴨川沿いを歩きながら話す

近くにある商店街でパンを買う。どれも美味しそうで気を抜くと4つ、5つ買いそうになる。結局、彼は大きなコロッケが挟まった惣菜パン。私は野菜とベーコンがたっぷり使われている豪華なピザトーストに決めた。座りやすそうな草原に腰をおろし、鷹に警戒しながら頬張る。私は一度トンビに口をつけていないおにぎりを取られたことがあるので、油断しない。春の鴨川は暖かくて、草を揺らす風はまだ冷たい。「やっぱりあそこのパン屋さんは美味しいね」と言い合い、互いに一番美味しそうなところを交換する。食べ終わった後はボコボコな河川敷の岩を行ったり来たりしながらたくさん話す。昨日のこと、面白かったこと、嫌だったこと、これからのこと、世の中のこと、どうやって生きていくかそんな話までする。彼と話していると次々と話したいことが溢れてくる。何より、自然と前向きになれるから不思議だ。

ひとしきり話終えると、もう夕方に差し掛かろうとしていた。そこから、食材を買いに行く。お肉がすごく安いお店を京都に住んで三年目に見つけた。食材選びは彼の方がこだわりが強い。私は食べたらなんでも美味しいけどな……と思っていることは内緒にしておこう。

食べて、話して、作って…この繰り返しが私の蘇生措置なのかも

帰宅後、彼が食材を切りテーブルに運んでくる。それから、2人並んで黙々と串に挿していく。手に刺さりそうでちょっと怖い。そして、彼が作ってくれた砂肝の湯引きポン酢を食べながら、焼いてくれるのを待つ。いつもは年上らしくない大型犬のような彼だが、ふとした時にとことん甘やかしてくるのでずるい。鶏肉もネギもこれでもか!とぎゅうぎゅうに刺された焼き鳥は胃がもたれたけど、心の底から元気にしてくれた。

食べて、話して、作って、食べて、話して。この繰り返しが私にとっては蘇生措置なのかもしれないな。とお酒で虚げになる意識の中感じた。これからも、私はこの人と美味しいものをたくさん食べていきたい。