30歳を目前に控えた年の冬。ベランダで煙草を吸いながら自問自答する。月がきれいな夜だ。
ひとり取り残された気がして、黒い感情が煙のように心に広がる
友人たちは去年、示し合わせたように結婚していった。
新型感染症の流行のせいで、長らく会えていない愛しい友人たち。
自粛期間という孤独な時代に、彼女たちは生涯を共にしたいと思えるほど愛する人との時間を大切に紡ぎ、結婚という選択をしたのだろう。
友人たちの幸せな報告が自分のことのように嬉しい反面、私だけがひとり取り残されたような気がして、いつの間にか黒い感情が煙のように心に広がる。
自然とこぼれた小さな溜息とともにSNSを開けば、学生時代にはほとんど話したことのなかった知り合い程度の同級生の子供たちの写真が並ぶ。
私の人生はいったいこれからどうなるんだろう?
あたたかい家庭のひとコマを切り取った写真たちを眺めながら、実態を伴わない不安に駆られる。そんな時は、いつもパートナーのことを想う。
自由の道を選んだ。自己研鑽の時間は減らせない、恋人も手放せない
彼は、出会った頃から事あるごとに「結婚はもう懲り懲りなんだ」と苦笑いしていた。
私から結婚を仄かしたことなんて一度もないのに。
きっと17歳も年下の私に対しての牽制なのだろう。
彼とはかれこれ数年のおつきあいになる。いわゆるパトロン契約のようなスタートだった私たちの関係だが、いつしか普通のカップルのように、お互いの存在が日常に溶け込んでいる。
彼と出会ったばかりの20代半ばの私は、私も友人たちも、自分の未来だけを見つめて走っていればいいものなのだと思っていた。
20代半ば。学生時代とは違い、社会の辛酸も一通り経験し、自立した人生をようやく歩き始めた頃。他の誰とも違う、自分自身を獲得した気分になったあの頃。
仕事も、恋愛も、趣味も、何もかもが自由で、軽薄な失敗もたくさん経験した。
こんな日々は永遠には続かないだろうと思いながらも、毎日を生きるのに夢中で、周りを見渡してなんていなかった。
でも、もしかして、それは私だけだったんじゃないかと、ふと思う。
友人たちは、これからは家族と歩調を合わせて、それぞれの道をしっかり歩いていくのだろう。
家庭を持たないことに対する不安感はある。では結婚したいのかと訊かれれば、積極的に頷けない。
元来の冒険したがる性格のせいで、30歳を目前にした今、サラリーに縛られない自由の道を選ぶことにしたからだ。
長年の夢を叶えたい。そのためには、自己研鑽に費やす時間は減らせない。私の夢に対して適格な助言をくれる歳の離れた恋人との関係も、まだ手放せない。
結局私は、家庭を持つ責任は負えないと、自分でも気付いているのだ。
羨ましくて仕方ないし、平凡な幸せはつまらなそうとも思う
それでも、そんな私でも、友人たちのように、愛する誰かと「結婚」という選択をするときが来るだろうか。
もし、このふしだらと言われても仕方がないような彼との関係に続きがあるのなら。
もし、何かの間違いで、彼の方から結婚を持ちかけてくれたら。
そしたら私は、すぐにその手を掴むのだろう。
こんなに燻っていたことも瞬く間に忘れ、一生愛することを笑顔で誓うのだろう。
でもそんな事は起こらない。
起こらないと知っているから、時々そうやって、永遠に訪れない未来に想いを馳せてみるのだ。
結婚、どう思う?
友人たちを見ていると、羨ましくて仕方ない時と、平凡な幸せなんてつまらなそうと思う時、交互にやってくる。結局この問いの答えは出せない。
今日も答えがでないまま、白い煙が夜に溶けるのを見送り、私は部屋に戻る。月がきれいな夜だ。