私は世間的に“良い”とされる道の上を歩くことが好きな人間で、大学受験も就職活動もその“良い”を求めてそれなりに結果を出してきた。

迷うことなく20代半ばで計画的に結婚した私の最近の興味は

そんな私にとって、結婚も“良い”の象徴であったため、迷うことなく20代半ばで計画的に結婚した。幸運なことに優しくて稼ぎもある旦那さんだったので(これも“良い”を求めた結果である)、好きにはなれなかった仕事を辞めることも許され、今は悠々自適に生きている。大満足である。

そんな私だが、友人には別に結婚を押し付けたい気持ちはない。働くことが好きで本気で1人で生きていきたいという友人をカッコいいと思うし、もし私も仕事が好きで普通の男性より稼いでいたならば、一人で生きていくという選択をしていたかもしれない。
なぜなら最近は結婚しなくても、バリキャリで生きていければ“良い”という風潮もあるからだ。

ここまでは最近よくメディアでも取り上げられる結婚するべきか、しなくてもいいか、みたいな議論の話だと思う。

ただ、最近私が興味深いと思っているのはそんな、ちまちまネチネチした話ではない。もっとシンプルかつ素直な話で、心からポロっと出てきた“なんか結婚っておもしろくない?”という新たな発見だった。

一緒に暮らして、「あぁ、これが男女の差というやつなのか」と感じた

旦那さんと一緒に暮らし始めたことで、今まではピッタリと一緒だと思っていたお互いの考え方や価値観がかなり違うということに気付き始めた。いわゆる男女の差というやつだ。はじめの頃はこの差にかなり苦しめられた。
夕飯を用意して帰りを待っていたのに、残業終わりに同僚とご飯食べてくると軽く言われたとき。何度も何度も遅くなる時は連絡してと伝えているのに、なぜか連絡してくれないとき。
本気で私はサイコパス野郎と結婚してしまったのかと思った。というか、今も少し思っている。ただ、既婚の友人たちと話をすると、皆同じような経験をしていることがわかった。そこではじめて、“あぁ、これが男女の差というやつなのか”と感じたのだった。

それまで少し病んでいた私だったが、私の愚痴に対して友人が放った「私の旦那さんなんて酔っぱらって夜通し川に浸かってたことあるよ」というエピソードはめちゃくちゃ面白かったし、なぜか私にものすごい元気と勇気をくれた。
男女のわかりあえないをとおして、女子はさらにわかりあうのだった。励ましあい、また強くなる。それは私にとって、とても新鮮な発見であったと同時に、この年になって女子の絆はさらに深まるのか!とトキメキを与えてくれるものだった。

ちなみにその後の旦那さんとの関係だが、辛抱強く、“何が嫌だったのか”、“なぜそう思うのか”、“それを踏まえて今後どうして欲しいのか”、自分の気持ちを言語化し、具体的に伝えていくことでかなり意志疎通がとれるようになった。
また、旦那さんがなぜその行動をしたのかという行動原理を追うことで、この人は、というか男性はサイコパスというよりも、「なにも考えていないのだな」ということに気付いた(もちろん男性にはそのぶん他に長けている部分があるというのは承知している)。
だけど、そんな中、旦那さんなりに私が伝えたかったことを理解し、努力してくれていると感じたときは、その気持ちが嬉しくて愛おしかったし、こうやってわかりあっていくのが夫婦なのかと人間関係の構築の面白さを改めて感じた。

どんどん新しい“悟り”が自分の中に生まれると思うとわくわくする

結婚すると、自分の人生に今まで存在しなかった悩みや状況と向き合うことになり、それに伴い新たな気づきや感情、考え、視点、すなわち“悟り”が生まれる。
我ながら、結婚を経て自身の人間力や視野がかなり広がった気がする。
まだ結婚して日は浅い、これからもっと色んなことを経験してどんどん新しい“悟り”が自分の中に生まれるのかと思うとわくわくする。
結婚で得られるものといえば、生涯のパートナーや、子供、財力など直接的で表面的なことが取り上げられがちだが、こうした“悟り”こそ結婚で得られる最も魅力的な産物かもしれない。いわば人生のスパイスといったものだろうか。
結婚に迷う友達がいたら「とりあえず結婚ってなんかおもしろいよ」ということだけ伝えてみたいと思う。それだけは誰にでも当てはまる真理のような気がするから。