「ねえ、もう辛いよ、私無理だよ…」

コロナ自粛になってから、実家暮らしの私は地元を散歩することが多くなった。川沿いのあの水色の家を見ると、私の膝の上で泣いていたあの子のことをどうしても思い出してしまう。

東京下町の川沿い。お鍋で豚汁を分けてくれるような人情がまだ残ってる昭和の化石。コロナでそんな温かなふれあいも、消えていく。

小学4年生の時、あの子と階段に座ってゲームをして話したこと

10年前、小学4年生の私は、水色の家の階段に座っていた。DSに『ポケットモンスター ハートゴールド・ソウルシルバー』のカセットを入れて、あの子を待っていた。どうしても氷の洞窟を抜けられなくて、手伝って欲しくて。あの子は、私よりちょっと古くて画面の小さなDSを片手に家から出てきた。ドアの向こうはゴチャッとしていて、奥からは怒鳴ってるのが聞こえた。何を言ってるかはよく分からなかった。お母さんだろうか。あの子は、信じられないくらい短いジーンズのショーパンとタンクトップ姿、さらっさらの黒髪ロングヘアをなびかせて、日本人離れしたスタイルを見せつけるように私の隣にくる。最近、身長が一気に伸びたらしい。その姿は、まるでランウェイを歩いているようだった。

「どこまでクリアしたの?」
「氷の洞窟抜けられなくてさ、最後のジムまでたどり着かないんだよね」
「ふーん、DS貸して」
私のDSをいじり始めて数分で、あの子は洞窟を抜けた。5日も同じとこで足止めを食らってた私は、あんまりゲームの才能に恵まれていないことに悲しくなった。でも、私は、ずっと勉強ばかりしてきたからゲームが下手なのは、仕方ないのかもしれない。

その後も飽きずに二人で黙ってゲームをした。あの子は、家でもずっとゲームをしてるらしい。もう全クリして、四天王を5回も倒したし、伝説のポケモンは全部手に入れていた。私は塾で忙しいのに「暇なやつだな」と思った。

「ねえ、ポッキーいる? 洞窟やってくれたお礼にさ」
「あー、ごめん、私ママから食べちゃダメって言われてるんだよね」
小学校では給食ジャンケンしてるのに、意味がわからなかった。

「ふーん、なんで? ダイエット的な?」
「そう、他の子に言わないで欲しいんだけどさ、私、子役やってんだ。今度CMのオーディション最後まで残ってんの、ポッキーのCM」
「え、モデルとか、凄くない!? 芸能人とかと会えるんじゃん! いいなあ」
「ママに言われてやってるだけだから、別に」
「ふーん」
ポッキーを一袋一人で食べた。小学生の私には多すぎて、気持ち悪くなった。ポケモンを切り上げ、夕日を背に家に戻った。あの子を、ポッキーのCMで見る日はなかった。

辛くて苦しくて、あの子が出していた「SOSのサイン」

この時期を境にだろうか、あの子の目は狂い出した。

5年生、私たちのクラスは学級崩壊した。主犯格3人組に、あの子もいた。先生が来るのを阻止するバリケード、黒板につきささった彫刻刀、10人もの先生に囲まれて食べる給食。あの子は、たまに学校から逃げ出し、たまに校長室の窓から飛び降りたりしていた。そして、怒られるたびに怒る大人を嘲笑し、犬の鳴き真似をした。そのくせ、体育の着替えの時だけは、学級崩壊にうんざりしている私と親友についてきた。「なんか落ち着く」らしい。正直、私たちまで主犯格の仲間だと思われそうで迷惑に思っていた。

その頃には、あの子の髪はゴワつき、フケがついていて、顔はニキビだらけ、洋服はいつも一緒で、給食着はアイロンがかかってなかったし、不健康にやせ細っていた。細いのに相変わらず給食はよく食べた。

そんなあの子が頭にたんこぶと、目の上にあざを作ってきた日があった。

「どうしたの?」とみんなに聞かれても何も答えていなかった。どう見てもいつもの様子と違った。先生に怒られても下を向いて俯いていた。

「痛くないの、そこ、喧嘩したの?」
体育の着替えが最後だった私と親友は、誰もいない体育館で、積み上げられたマットに座り、あの子に尋ねた。
「…親に、親に殴られた」
「それ、先生に言えば?」
「意味ないよ、あんな奴らに言っても」
いつもの大人を軽蔑するような目であの子は言った。そして、大粒の涙をこぼしながら、「ねえ、もう辛いよ、私無理だよ…」と、私の腕の中で泣いていた。

もう、次の授業のチャイムはとっくに鳴っていた。私はハンカチを貸して抱きしめることしかできなかった。探しにきた副校長先生は、私たちを遠くから見守っていた。

「もうこんな荒れた街にはいたくない」と思い、私は地元を捨てた

今振り返れば、あの子の両親は外国人で、言葉が通じなくて地域から孤立していた。それに経済的にも苦しくなっていったんだろう。あの子がモデルや子役をして働いていたのは、家のためだった。身長が高くなってオーディションに通らなくなった5年生くらいから、親から虐待を受け始めたのだろう。給食を沢山食べていたこと、体にもアザがあったこと、歯も磨いてないし風呂にも入っていなかったこと、給食着が洗われてないこと…色々なサインがあったのに、私は何もできなかった。ただ「辛い」という言葉を抱きしめるだけだった。

学級崩壊をきっかけに、私は地元を捨て、私立に進学しようと決意した。もうこんな荒れた街にはいたくないと思ったからだ。地元の人とはなるべく縁を切った。中高で出会った人は、皆恵まれていて私の“普通”はマヒしていった。

コロナ禍に、捨てた地元をもう一度歩く。通学路、遊んだ公園、そしてあの水色の家。ホームレスが日に日に増える川沿いの橋の下。コロナ禍で、今まで見えこなかった格差や差別、暴力がリアルに社会を襲う。

あの時、ただ“辛さ”を抱きしめるしかなかった腕で、“辛さ”を生み出した社会を変えることはできるだろうか。もう、今年でハタチになる。この街を捨てるほど私は弱くない。