「ひとりっ子に見えないね」
それが、過去のわたしにとって最大の褒め言葉だった。

Q.あなたの地域で、ひとりっ子はクラスに何人くらいいたでしょうか?
クラスに数人? それとも学年で数人くらい?

わたしの住んでいた地域では、おおよそクラスに数人がひとりっ子。特に中学校に上がる前までは、春に新しいクラスのメンバーがわかると「クラスの誰がひとりっ子かな?」と無意識に探していた。

この文章を読んでくれているあなたは、クラスメイトの中で誰がひとりっ子か、意識したことはある?

ひとりっ子のわたしは、周りから「かわいそう」と思われている?

ひとりっ子のわたしが、実際に感じた“ひとりっ子のイメージ”とは、小学生の頃兄弟姉妹のいる友達にどこか距離を置かれているように感じていた。

兄弟姉妹の多い友達の家に遊びに行くと、子ども部屋にびっしりとあるおもちゃやサイズの違う洋服。わたしの家のすっきりとしたモノの少ない部屋とは全然違った。「兄弟姉妹がいるとどんな感じか?」という話しを聞くより、実際自分の目で目撃したことで「兄弟姉妹が多い家の暮らしは、自分の家とこんなに違うのか!」と納得した。それ以上にカルチャーショックも感じ、そのときの風景は今でも鮮明に焼き付いている。

もうひとつ忘れられない出来事がある。あるとき、兄弟姉妹の多い友達に「ねぇ、ひとりっ子ってさみしくないの?」と聞かれた。ふいに投げかけられたそのひと言。続けて、その子は「家にいてもひとりで遊ばなきゃいけないんでしょ?かわいそうに」と言った。

かわいそうかどうかなんて、わからないよ。だって、これがわたしの知ってる唯一の生き方だもの。もしかして、いままでも周りの友達から「かわいそう」って思われてたのかな? そんなことを意識するようになった。

大人になった今もわたしの“ひとりっ子観”には、このとき投げかけられた言葉が大きく影響している。

子どもの頃のように、関わる人の兄弟構成をいちいち知る機会はぐんと減った。それでも何かの話題で、自分がひとりっ子だと話すと「あぁ~なるほどね」みたいな意味ありげなリアクションをされる場合が多い。そして、会話が広がらない。

大人だから、はっきりとは言わなくなっただけでしょ。本当は何かしらわたしに言いたくないネガティブなことを考えてるんでしょ? そう思うこともある。でも、これは自分の中に閉じ込めている。

どっちもどっち。建前と本音を使い分けて、本当のことは触れないんだからさ。

「ひとりっ子はマイナスイメージ」と教えられて育ったわたし

様々な違和感を抱えたまま中学生になった。母からは「ひとりっ子の悪いところを直すよう」という方針で育てられた。具体的には「先走って物事を解釈してしまう部分を未成年のうちに直して欲しい」と言われ続けて続けた。

周りと馴染んでいないと感じたときや、うまくいかないことがあったとき「あなたはひとりっ子だから……」と事あるごとに言う母の言葉を思い出す。「ひとりっ子って、マイナスイメージなんだ」「ひとりっ子の悪いところがきっと出ているんだ」という意識が、自分の中に刻み込まれてゆくことは避けられなかった。

そして、人とうまくやっていける大人になるために、日々“ひとりっ子”らしさをできるだけ出さないようにと意識する日々。気がつけば、兄弟姉妹についての話題が上がったとき「ひとりっ子に見えない」と言ってもらうことが勝ちであり、褒め言葉だという価値観ができあがった。

大人になって少しわかった、母の気持ち。この母の教育方針について、当時は何の疑いもなく信じ「大人になったら困るだろうから直さなきゃ!」と必死だった。今このエッセイを書いていて、ふと思い出したことがある。

一人目の子どもを産むとすぐ周囲に投げかけられる「二人目はまだ?」というなお世話に対して「うんざりだ」と幼少期のわたしに母が愚痴をこぼしていたことを。

その頃は、ひとりっ子の環境しか知らなかったわたし。いまこのエッセイを書きながら、当時の記憶をたどると、母の気持ちが少しだけわかったような気がする。自分の意志とは、関係なしに周囲から浴びせられる雑念。

30年近く前のことだ。きっと今のわたしが考える以上に、その“雑念”は大きいものだったのかもしれない。「ひとりっ子だからわがまま」「ひとりっ子だからかわいそう」という言葉を直接言われたこともあっただろう。
そのとき、母はひとりでどれだけ悩んだのだろう……。
子どもを産んだことのないわたしには、気が遠くなりそう。わかったつもりになるのもおこがましい……。

わたし個人が、良いとか悪いの話しではなくて。そして、ひとりっ子はマイナスイメージだと刷り込みたかった訳ではかったんだなと気が付いた。

ひとりっ子にコンプレックスを持っていたけど、無理しなくていい!

世間では、ひとりっ子はどう見られているか。ときには心無い言葉を浴びせかけられることもあるかもしれない。色々考えた上で、わたしが強く生きていけるように母は考えてくれていたのだろうな。

“ひとりっ子コンプレックス”を持って育った人が、わたしの他にもきっといると思う。“個の時代”といわれる現代では、会社員以外の比較的自由な働き方も増えてきているし、“ひとり〇〇”、“おひとり様〇〇”など新しいライフスタイルも確率されてきている。

コンプレックスは消えないかもしれない。でも、無理に乗り越えなくてもいいんじゃないとアラサーになったわたしは考えるようになった。

もう5年、10年経ったらどう思うのかな。そんなことをぼんやりと思っている。