「いや、結婚はしたいのよ」
気付けば何回この言葉を口にしたことか。

思春期に立てた完璧な人生設計は、やはり現実的ではなかった

友人の結婚式がコロナ禍にも関わらず、昨年は大量だった。その4つどれもが、参加して良かったと感じた。教会での誓いやブーケトス、華やかなドレスにでかいスプーンでのあーんなど、結構楽しんだ。ニコっと目を合わせて笑い合う新郎新婦を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになった。それと同時に、こんなに大切にし合える人と巡りあう気が全くしない。いや、努力とかそういう問題以上に出来るできないという実現可能性の話をしているのだ。

中学3年のときの私は結婚の完璧なプランを考えていた。大学入学と同時に2つ上の先輩と付き合い、社会人2年目で結婚し、1年間新婚気分を味わいながら次の年に妊娠が分かるという完璧なストーリーだった。専業主婦など頭になかったくせにどうそれを実行するのか、現実味を帯びていないことが今ならわかる。

結婚したい気持ちはある。でも、恋愛以外にやりたいこともある

さあさあ、いざ大学が始まると、そこに自分の恋愛以外のやりたい事が沢山出てきた。それと同時進行で恋愛に精を出せるほど私は器用ではなかったようだ。好きになった人には、「君との結婚はギャンブル」とか言いながらプロポーズされるし(もちろんお断りした)、付き合っていた彼氏には何故か、同棲している彼女ではない不思議な女の人がいたし、そもそも恋愛対象が結婚する人ではないのかもしれない。きっと私は、「結婚はしたいのよ」を必要以上に乱用してしまっていたのだろう。

まぁ、でも、たまに寂しくはなるものの、ポジティブエイジングの時代になってきたし、大丈夫だろうと高を括ってしまっているから、きっとまだまだ結婚は先な気がする。歳を取るにつれて、徐々に出来ることが増えてきているし、目標なども現実味を帯びるから少しずつ自分の理想に近づけている気がする。結婚に関して以外は。

子どもを大事にしたい親になりたいけど、その前に……

そもそも、シングルマザーが浸透していない日本において妊娠を見越して、結婚をするのはリスクが大きすぎるのではないか。実の母が悔し涙を流す姿も見てきた。育児環境も十分に整備されていないし、“家族より仕事”という不思議な日本の風習はコロナ禍でも根強く残っている。自宅でミーティングをする両親に迷惑を掛けまいと、家の外で非行に走る子ども達から相談を受けることも多くある。話を聞く度に、子ども第一とは言わないまでも、子どもに寂しいという気持ちを抱かせない親になりたい。いや、恋人さえ今はいないのだけれども。

と、PC画面にビールを持ちながら話している友人との時間が、私は結構好きだったりする。