遠方に住む母親と久しぶりに会い、ランチに行った。本格的なタイ料理を出す店を北浜に見つけた、あんたも食べたことないやろ、いっぺん食べてみようやと母が言うので、わざわざ予約して食べに行くことになったのだった。母はもう60歳になろうとしていて、そのわりには食欲も好奇心も旺盛な人である。

振り回される舌と心。エスニック・ジェットコースターは止まらない

 母娘ともども初めて食べた本格派タイ料理は、甘くて辛くて酸っぱくてやっぱり辛くて、味覚のジェットコースターとでも表現すればいいのか、とにかく落ち着きがない味わいだった。もしかすると、それこそが異国情緒というものだったのかもしれない。そういう意味では正しいランチをタイ料理屋は提供したのだろう。

 とはいえ、私は――私としては、こんなつもりではなかった。私はエスニック・ジェットコースターに振り回されながら、少し焦っていた。そう、こんなつもりではなかった。今日私は、少しお高めのランチを食しつつ、同居人と生涯を共にするつもりだと、母に伝えるはずだったのだ。

 予定ではこうだ。私は、神妙に「話があるんだけど」と切り出す。母は「何や、急に」と首をかしげる。私は緊張感を漂わせながら続ける。「彼女と結婚しようと思う」。母はきっとこう返す。「ふつう、女と女は結婚できへんのやないの?」。私は顔つきだけは冷静に、内心ではらわたを煮えくり返らせながらこう言い返す。「ふつうってなんやの。お母さんの世界の『ふつう』と、私の『ふつう』は違うんやよ。大阪市ではもうできるんや。そりゃ、籍こそ入れられへんけど、パートナーシップ関係は結べるんよ」。

酒の力で大事なことをつるんと口にした私を、母はじっと見てきた

 それが、タイ料理のおかげで予定が台無しである。アンニュイな雰囲気になる暇を、はらわたを煮えくり返らせる暇を、香辛料が与えてくれない。

 どころか、強烈な味わいを紛らわすために、母はついにビールまで注文しはじめた。
「あんたは、どれにすんのや? シンハーでええか?」
 昼間から宴会のていである。もうやけくそになって、私は「シンハーでええよ!」と返した。
 そうして結局、私たちはビールをジョッキで二杯ずつあけた。
 アルコールを摂ると舌の滑りがよくなるのは古今東西変わらない。あれほど神妙に切り出そうとしていたことを、私はいつの間にかつるんと口にしてしまっていたらしい。母がビールを飲もうとしてジョッキをかたむけたまま、奇妙な体勢で止まってこちらをじっと見てきたので、あっ、と冷静になった。
 気が付けば、料理はあらかた片付いていて、残すところはデザートだけだった。怪我の功名である。私は窓向こうに広がる北浜のビジネス街に視線を放り、急ごしらえでアンニュイな雰囲気を醸し出しつつ「どう思う?」とたずねた。
 さて、母はどう出るか――。
「どう思うも何も、どうでもええわな。あんたの人生や、好きに生き。相手の親御さんにも挨拶しときや」

母はなんでもお見通し。沈黙をマンゴープリンにのせてたいらげる

 予想外である。母はビールを豪快にぐびりとやり、「なんや言われるて思ったんやろ。あんたがしゅんとするときはいっつもそうや。ちっさいときから、構えて怒られ待ちする子やったわ」とつぶやいて、またも豪快にジョッキをあおった。

 私は呆然と母を見つめて、それから自分の中にあった母への偏見を恥じた。私の母はそうだ、好奇心旺盛なほうだ。見聞が広く、「ふつう」が時代や場所や経緯によって変わることを知っている。
 落ちかけた沈黙を払ったのは、店員の「こちら、コースのデザートでぇす」という間抜けな声かけだった。供されたデザートはマンゴープリンである。
 母はこのプリンを気に入ったらしい。瞬く間にたいらげ、「おいしいわ、あんたも食べ」といまだ呆けている私にスプーンを握らせた。
 ひんやりとした器に入ったマンゴープリンは、穏やかな橙色をしていた。スプーンを差し込み、掬う。つるつるもちもちとした食感のデザートはほんのりと甘く、ジェットコースターの停止線にするにちょうどいい、優しい味だった。