「学校のテストは98点で上出来。でも、仕事は常に100点でなければならない」
これは私が中学生のころ、地元のお茶屋さんに三日間、職場体験に行った際にかけられた言葉である。最終日にかけられたこの言葉、言いたいことは理解できるが、当時はあまりピンときていなかった。
まだ社会を何も知らない私は、いくら仕事といってもいつも100点を提供できるわけがない、と考えていた。テストでさえ100点を取るのなんて難しいのに。
変わったところで働きたいと、アルバイト先にボウリング場を選んだ
大学生になり、アルバイトをするようになった。居酒屋やカフェもいいが、何か変わった仕事がしたいと思い、私はボウリング場で働くことにした。
周りに言うと百発百中、珍しいねと言われる。
ボウリング場で働くことを珍しがられるということは、それだけ皆にとってボウリングが身近な存在ではないということである。趣味や好きでボウリングをする人を除いて、ボウリングの頻度としては年に一回か二回が相場だと感じる。つまり、お客さんにとって年に一回のボウリングだとしたら、それ以降ボウリングとしての記憶は一年間塗り替えられないことになる。
一方で、スーパーやコンビニなどでの出来事は特段変わったことがなければ、日々塗り替えられていく記憶である。私はこの事実に、昨今のコロナ禍になって初めて気づかされたのである。
コロナウイルス対策で今まで開けっ広げにしていた入り口にスタッフを配置し、場内での注意事項の説明や検温、手指の消毒などを行ってから案内することになった。時間をかけて対応していく中で、今まで聞くことのなかったお客さんの声を聞くことになった。
お客さんにとって、思い出の一つになるかもしれない場所にいる
「ボウリングなんて何年ぶりだろう」
「久しぶりすぎて忘れちゃったよ」
そんな声をたくさん耳にするようになったのだ。
そのとき私は、「私にとっては毎回の光景のなかでの毎回の仕事にすぎないが、お客さん一人にとって今日ここでの出来事は、今後も残る思い出の一つになるのかもしれない」と痛感した。
スタッフとしては毎回のことが続くと「もう98点でもいいだろう」と感じてしまうが、お客さんにとっては思い出の一幕かもしれない。その一幕のなかに私は「100点のスタッフ」として存在したいと感じるようになった。
100点のスタッフとして振舞うことは簡単なことではない。
それに、人によって何が100点と感じるかも違う。
善意として発した言動や起こした行動が善意と受け取られなかったり、揚げ足を取ってきたり、酔った勢いで悪態をついたり、若い女性スタッフだからといって見下すような発言をされたり。理不尽で納得のいかないことが山ほどある。
それもたくさんのお客さんと関わっているうちに学んだことである。
自分以外のだれかに「100点」を感じ取ってもらえれば
受け取る側の100点の基準、こちら側の100点の基準。誰に対しても100点でありたいと思えるかのどうかのモチベーション。それぞれ人によってさまざまである。
しかし、全員には伝わらなくても自分以外の誰かに100点を感じ取ってもらえれば、良い思い出としてとどめておいてもらえれば、と願い働いている。
冒頭の言葉を今考えれば、地元のお店はどこも地域密着型であり、地元民の信頼を得られないことには始まらない。だからこその発言だったと納得するが、実際はどの接客業にも通ずるものがあるのだと感じた。
スタッフとして働くようになり、客としての立場、スタッフとしての立場、両方を経験した。職場体験から約6年。社会の一員の端くれとして、この言葉の意味を少しではあるが理解できるようになった。