26歳の冬。住之江のパチンコ店で働き始めて半年が経った頃の、ある日の夕刻のことだった。
 店の出口付近で、お客さんがスポーツ新聞を手渡しながら話しかけてきた。
 その声は店内の音に掻き消され聞き取りづらかったので、私は耳をなるべくお客さんの顔に近づけた。どうやら「文字が小さくて読めない。読み上げてくれ」とお願いされていた。
 うなずいて、その記事を読もうとした。するとその客は突然私の耳元で、生々しく卑猥な口説き文句を並べだした。

 私はそれを聞き取れたが、今度は理解ができなかった。ゴシップの見出しかと思ったが、違った。私に向けられた言葉だと、ワンテンポ遅れて気づいた。
 脳も体もフリーズした。それでも接客業モードだったので、顔は自然に「あはは」と愛想笑いを浮かべていた。その客はニタニタしながら、新聞をパッと取り返し店を出て行った。

セクハラ報告=美人自慢?理解されないのではという不安

 私は反射的に、店内のにぎやかな方へ急いだ。ほかのお客さんやスタッフがいる場所に戻ると少し落ち着いてきた。仕事を片付けていたら、冷静に先ほどのことが思い返されてきた。不快な気持ちがじんわりと広がっていった。

 最初は「女として光栄なことなんじゃないか」と自分を励まそうとした。だがこれは見当違いだった。「急に尿や精液をかけられたのと一緒だ」と気づいて、吐き気を覚えた。
 あの客に「こいつは反撃してこない」と思われたことも不愉快だった。その勘が当たっていて、実際に私は全く抵抗を示せなかったことも悔しかった。
 しかしその相手はもう目の前にいない。悲しいことに、こういう出来事は仕事でもプライベートでもたまに起きる。今回も気にせずに、愚痴として吐き出して忘れることにした。

 よくある嫌な話として処理しようと決めた以上、直属の上司の耳には入らないようにしたかった。上司は普段からすばやく人の容姿のジャッジするタイプで、私はその度が過ぎていると感じて苦手だったからだ。

 以前、別の店舗で起きた従業員強姦未遂事件の話をしていたときも、上司は被害者のことを「あの人キレイだからなぁ」と言った。また、事件を受けてその店舗の従業員全員が防犯ベルを持つことになったときも「『絶対あんたには要らんやろ』っていう人まで持ってるわ」と笑っていた。その笑顔を見たときから「この人とは合わない」と感じ距離を置いていた。

 私自身は、性犯罪やセクハラ被害に見た目は関係がないと思っている。ニュースを見たり、友人たちと話していると、こういう犯罪には容姿も性別も年齢も関係ないんだと思い知らされる。おそらく加害者にとって大事なのは、通報されない程度の日常的なスリルだ。だから性格的にも立場的にも声を出せない人や、鈍そうと思われた人が被害に遭うのだろう。ちょうど私のように。
 そんな私の考え方とは異なる、「見た目がいい人が性犯罪の被害に遭う」とだけ思っている上司に、今回のセクハラを報告することは、自分の容姿が優れていると自慢しているように聞こえると予想できた。そんなのは嫌なので、愚痴に留めたかった。

意を決して臨んだ報告に、上司からの心ない言葉…

 その日、休憩のタイミングがかぶった仲良しの先輩に「聞いてください!キモい客がいて!」と一連の出来事話した。すると先輩から「もしかしたら常習犯かも知れないから、終礼のミーティングで共有しておくといいよ」と言われた。
 少し迷ったが、確かにそうかも知れないと思った。そこで上司の仕切る終業後のミーティングで一通り報告した。なるべく「私がいい女だからセクハラされました」という誤解を受けないよう、表現には気を付けた。

 それでも案の定というべきか、上司の反応は冷たかった。まず「そういうセクハラは、されたときにすぐ報告すること」と注意した。続けて「新人教育のときにも説明したけど」と呆れたように、暴言・暴力を受けた時のマニュアルに沿って手順を説明した。そして「まぁ、その場で『やめてください。そんなこと言うならもうお手伝いしません』と言って突っぱねるのが一番」と付け足し、「皆さんもすぐに言いましょう」とスタッフ全員に注意喚起して、ミーティングを終わらせた。

なぜ被害者側が屈辱を感じなくてはならないのか

 私は上司の声を聞きながら、自分の中に大きくてどす黒いものが渦巻くのを感じた。本当は話を遮って「私だって今この部屋でなら『やめてください』って言えます!お客さんから急に言われたら無理なんです!」と叫びたかった。だが心の中にあったのはその怒りだけではなかった。セクハラされたときよりも、もっと大きくて複雑な感情だった。

 わかっている手続きをもう一度説明されている屈辱。こんな上司の下で働いているという脱力感。先輩に言われたから報告したのにという意地。報告するために口にした卑猥な言葉への不快感。みんなの前で注意された恥ずかしさ。そして一貫した上司の冷たさに、「やっぱり美人アピールとでも思われたか」という失望。
 これら全部を自覚したときには、もうミーティングは終わっていた。言わなきゃよかった。セカンドレイプという言葉が浮かんだ。

 望まない性的な欲望を他人から投げつけられるとき、必ずといっていいほど上下関係が存在する。すでに下にいる人間を責めれば、その人間よりも上に立てる。上司は私を責めることで、下位の私と上位の客との間に自分の位置を確保した。そうしなくちゃいけないほど、上司にはなにか辛いことがあったのかもしれない。

 でもあのミーティングで私がしてほしかったのは、あの客と私の位置をフラットにすることだった。強姦未遂の被害者も、今回の私も、客と従業員という上下関係を利用された。たった一言でも、「そんな最低なやつは客じゃない!」と怒ってくれたら、どんなに救われただろう。

 すでに傷ついている人を更にマウンティングするという、悲しい連鎖は止めたい。もう誰も、あのときの私と同じように「言わなきゃよかった」と思ってほしくない。

 ただ私もいつかあの上司と同じことをしてしまうかも知れない。だから私は社会の風潮を変えたい。被害者を叩くことがダサいという社会にしたい。そうすればいつか同じようなことが、今度は私が上司の立場で起こったときに、社会の空気が私のストッパーになると信じている。