私は、私の可能性を潰しません!
自分で自分を諦めません!

私は言霊を信じている。この宣言を口にすることで、現実になる。今ここで言い切ることで、私は私の言葉に責任を持ち、宣言通りの行動に移せると考えた。
私は周りが何と言おうと、自分で決めた道を自分で諦めずに進んでいく。

落ち込む私に向けられた言葉に、勉強を頑張ること自体を諦めた

このような考えにいたるきっかけは、まだ中学生の時だった。私は中学受験をし、おそらくギリギリで合格し、進学校の私立中学校に通うことになった。
一生懸命勉強し、なんとか平均点を取ろうと必死だった。しかし、勉強についていけず、テストの点数が次第に下がっていった。落ち込む私に、周りはこう言った。
「残念だけど、あなたの力じゃ頑張ってもみんなのようにはなれない」
私はその言葉を聞いた時涙があふれた。同時に、自分は頑張って勉強したところで周りに追いつくことができないと、勉強を頑張ること自体を諦めてしまった。
この日を境に、私は周りの人の言葉を鵜呑みにし、自分の行動を変えるようになった。

周りから「やめておいた方がいい」「向いていない」「諦めた方がいい」「やっても無駄だ」と言われると、その度に、私にはやっぱり向いていなかったんだ、やっても無駄なんだと、たくさんのことを諦めた。

今までの私は、周りの人の言葉で、私の可能性を潰してしまっていた

今考えてみれば、周りの人からあらゆる場面で否定的な言葉をかけられていた。大きな取り柄もなく、周りと比べられ、身近な人とも比べられ、差があると突きつけられてきた。自分が劣っていることも薄々感じてはいた。諦めることに迷うこともあった。でも、気づけば諦める方向に向かっていっていた。
諦めることはとても簡単だった。やらなくて済む。頑張らなくてもいい。もう必死になることはない。解放されたと安堵する。自分を苦しめるものが減り、楽になった。肩の荷がおりた気分だった。

しかし、私には何も残らなくなっていった。頑張った記憶、必死になったもの、何かに打ち込んだこと、次第に今まで何をしてきたのかわからなくなり、これから何をしていけばいいのかさえ見失っていった。

私がやってきたことはどれも中途半端になっていた。やろうとしたことも、周りの言葉で諦めてきた。できると思っていたことも、周りの言葉でできない気になってしまっていた。
続けていたら道が開けたかもしれない。諦めずに挑戦し続けたら結果が出たかもしれない。結果に結びつかなかったとしても、これから前に進むための糧になったかもしれない。けれど、今までの私は、周りの人の言葉で、私の可能性を潰してしまっていたのだ。

過ぎたことは取り返せない。でも、今から十分自分を変えられる

それも自分のせいではなく、他人のせいにして。周りが言ったからと、責任までも逃れようとしていた。自分が情けなかった。自分の意志の弱さを認めることなく、周りが言ったことを理由にし逃げてきた。それで安堵していた。向き合わないことで楽をしていた。今までの生き方に後悔した。

過ぎてしまったことはもう取り返せない。でも、今からでも十分自分を変えることができる。
続けたいと思ったことは続ける。やりたいと思ったことはやる。たとえ、周りからなんと言われようとも。

私は周りから「文章読んだり、書いたりするの下手だ。向いてない」と言われ、幾度となく直されてきた。直されるくらいならもう書きたくないと思うこともあった。書き直されるたびに怒ったり泣いたりしてきた。
でも、私は今エッセイを書いている。苦手としていた文章を書くことに挑戦するようになった。そして、好きになった。
エッセイを書くこと…まずこれが、私の2021 年の宣言の第一歩となる。
私は2021年、自分で自分の可能性を潰さない。誰に何と言われようと自分で自分を諦めない。