2020年夏、私は大きな転機を迎えた。それは6月の誕生日で二十歳になったことと、誕生日の翌週に鬱病と診断されたことだ。

私は幼い頃から、自分の限界値を超えてまで頑張り続ける癖がある。努力ができることはいいことだと思うかもしれない。だが、自分の感情や欲求を犠牲にしてまで努力することがどれ程地獄なのか、少し考えてみて欲しい。周りには褒めてくれる人も応援してくれる人もいないのだ。それでも期待値ばかりがどんどん上がっていき、「限界だ、もう無理だ」と声を上げることすら許されず、さらなる成績向上を求められる地獄。

これに耐えていた子供時代の私を抱きしめてあげたい。もういいよ、十分頑張ったね、偉いね、と言って思う存分泣かせてあげたい。どんなに辛く苦しくても泣くことすら許されなかった昔の私は、いつしか泣き方すらも忘れてしまっていたのだ。

家では駄目な娘、学校では成績優秀な学級委員長だった

母は過干渉でヒステリック、感情が昂ぶると暴力を振るった。一方父は私に関して無関心で、母の言うことに従っていれば間違いないと言って思考を面倒くさがる人だった。今考えればこんな家庭は異常で、立派な機能不全家族なのだが、当時の私はこれが普通だと思っていた。むしろその"普通"に耐えられない私はなんて弱くて駄目な人間なのだろうと思っていた。

母の呪縛から逃れることも父に助けを求めることもできなかった私は、自分を偽り感情を殺し、仮面を被ることを覚えた。家では勉強のできない優柔不断な駄目な娘と罵られ、学校では成績優秀な学級委員長として頼られる、というちぐはぐな役割を担っていた。身体が、心が壊れていくのは簡単なことだった。

次第に自分が本当にやりたいことは何なのか、やりたくないことは何なのかが分からなくなった。ずっと"誰か"を演じているような感覚に慣れていき、自分は何なのか、生きるってどんなことだろうか、と考えるようになった。中学生の時、試しに母に反抗的な態度を取ってみたこともあるが、凄まじい反撃を喰らったのですぐに諦めた。

幼少期からあった皮膚むしり症・咬爪症・離人症が悪化し、自傷行為を繰り返した。それらは誰にも、一緒に住む両親にさえバレなかった。それほど私自身に関心がなかったのだろう。母が見ていたのは生身の私自身ではなく、私を構成する諸要素だけだったから。

そんな状況が数年間続き、ストレスも慢性的になり(耐性はついていない)、私は徐々に自分を偽ることに疲れ始めたようだった。

親のことを必ずしも好きでなくても良いという価値観を知った

2019年秋、大学一年生のときに、親に対する感情が友人らと私とで異なることを知った。同時に、母の今までの「私のためを思って」の行動が異常なほどの過干渉であり、暴力は虐待であったことに気が付いた。絶望した。

それからインターネットやSNS、本などを通じて『毒親』『アダルトチルドレン』などの言葉に出逢い、親のことを必ずしも好きでなくても良い、嫌いでもいいという新たな価値観を知ったことで、私はずっと被り続けてきた仮面を剥がす機会を得た。生きづらさの原因はここにあったのかと、感動して、悔しくて、一人暮らしの部屋で子供みたいにわんわん泣いた。同時に、もう戻れない貴重な幼少期と失った青春の時間の多さに愕然とした。

漠然とした不安や苦しみに名前がついたことが嬉しかった

2020年夏、大学二年生になった私はオンライン授業のために毎日何時間もパソコンとにらめっこをしていた。通常通りに電車で通学していたときよりも、明らかに気分が塞ぎ込んでしまっているのが自分でも分かった。世間では「コロナ鬱」なんて言われていたから、私も一過性のそれなのではと軽く考えていた。でも、明らかにおかしい。気分の沈み方が異常だ。これはコロナのせいだけではない気がする。もっと根深い、取り返しのつかないような大事なものを失った感覚…。根源はどこだ?
そう思い、二十歳になった誕生日の翌日、自分で調べた心療内科のホームページを見せながら、「私、鬱病かもしれない」と泣きながら両親に打ち明けた。

検査の結果、双極性障害の傾向のある鬱病と診断された。私は正直嬉しかった。自分の昔から抱える漠然とした不安や苦しみ、トラウマやフラッシュバックの原因に名前が付いたこと、疎外感を感じてきた自分が何かにカテゴライズされたことが嬉しかったのだ。

でも、問題はそこからだった。心療内科でのカウンセリングには過去の話が重要である。過去の辛い話や想いを言葉にしなければならなかった。これがとてつもなく辛かった。当時の地獄の追体験をしているようだった。鬱病と診断されてからそれを和らげる過程は、地獄と同等か、それ以上に過酷だった。

エッセイを書くと、自分の考えをまとめられてスッキリする

現在は通院をやめ、薬に頼らず自力で精神安定を心がけている。でも、正直苦しい。薬を飲みたい。楽になりたい。消えてしまいたい。そんな気持ちを抱えながら過ごしていたら、あっという間に年末になってしまった。
こうして今年1年を振り返ってみたが、通院していた夏の約二ヶ月間の記憶はあまり残っていない。ここ一ヶ月の出来事もあやふやだ。それくらい、疲れている。それでも2021年はやってくる。

2021年。私はどう生きるのだろう。まだ鬱病から抜け出すには時間がかかりそうだし、母との確執も解決できていない。受けた虐待の記憶はなくならないし、フラッシュバックで発作を起こすこともしばしばだ。それでも、生きていかなくてはならない。こうしてエッセイを書くことで自分の考えをまとめられてスッキリするし、何より私は文章を綴ることが好きなのだ。

だから、どんなに辛くても苦しくても、それを言葉にすることを忘れないようにしたい。これから先何があろうとも、私の中に湧き出る言葉がある限りは、当分は大丈夫な気がするのだ。

【宣誓】私、梨山渚は、生きていくために、これからも言葉を紡ぐことを、ここに宣言する。