サイエンス・フィクション(SF)が好きだ。映画でも本でも。星空を見るのも好きだ。都会の空を見上げても星は2つか3つしか見えないけど。
なぜSFや宇宙が好きなのかと記憶を探ると小さい頃に行き当たる。父親と一緒にお風呂に入っていた時代、いつも宇宙にかかわる問題を出されていた。
「土星の輪っかは何でできていると思う?」「わかんない」「氷だよ」
「海王星は英語でなんて言う?」「ネプチューン!」

いつも二人で見上げていた星空。父娘の関係は成長につれ変わっていった

小学生の自由研究では、ペルセウス座流星群の研究をした。当時は田舎に住んでいたので、近所の川の土手で2人で夜空をずっと見ていた。流れ星の尾を辿るとペルセウス座に行き着く。誕生日には天体望遠鏡。木星の衛星や月のクレーターを観測していた。

そんな父娘のほほえましい関係はいつまでも続かない。父親は娘にいつまでも健気ににこにこと、たくさんの友だちに囲まれて勉強も何でも頑張ってほしかった。
一方のわたしは、学校で友だちや異性関係に悩んでいたからかどんどん純粋さとかわいげが失われていった。父親はふて腐れる娘に「なんでそんな暗い顔をしてるんだ!」「もっと愛想よくしろ!」と家で怒り出すばかりで、心のなかで何が起こっているのか理解しようとしなかった。結局、いまに至るまでお互い理解していない。
祖母とはこういうやり取りもあった。「天文学者になりたいの」「えーそんなん稼げないよ」
まあ、それで嫌になる程度だったんだけど。
勉強や部活が忙しくなって、もちろん天体望遠鏡も捨てたし、勉強に関係のない空を観ることもなくなった。しばらくそうした記憶も思い出さない生活をしていた。

琴線に触れたブラピ主演映画「アド・アストラ」に、宇宙と父を思う

SF作品が好きだと自覚した理由は自分でもあまりピンと来ていなかったが、一昨年、ある映画を観て強く心をゆさぶられたことで思い至った。ブラッド・ピット主演の「アド・アストラ」という映画だ。ブラピの父親は有名な宇宙飛行士であったが家庭との関係は希薄だった。宇宙での任務中に行方不明になってしまう。ブラピも父同様優秀な宇宙飛行士となったが、喪失感を抱え、ひとと適切な関係を築くことが難しかった。そんな中、ある情報を得たブラピは極秘ミッションに参加して太陽系の果てまで父親を探しに行くことになる。主人公は父親と再会できるのかーー。

この映画は、正直大衆的な評判はよろしくなかった。(映画の主題は主人公の内面の追求だし、派手なSF映画を期待した人たちにとっては肩すかしだっただろう。たしかにブラピとインテリ宇宙飛行士役はあまりしっくりは来なかった)
でも、わたしは割と好きだった。なぜこの映画に肩入れしてしまうのかと考えると、やはり「宇宙」と「父親」であった。主人公は、広い宇宙空間で真の孤独を体験し、複雑な思いを抱く肉親と相対し日常への気づきを得る。内面の葛藤と向き合い、そこからの卒業へ向かう宇宙ロードムービーは、わたしの琴線に触れるものがあった。

真っ暗闇の中に無数の星が浮かぶ。平面に見える夜空の先は何光年、何千光年の世界が広がる。生涯目にすることのない、およそ自分とは関わることのないところに思いをはせると、わたしのもやもやした雲もちっぽけに思える。でもやっぱりわたしという宇宙のなかでは、このもやもやは気になる存在なのだ。そんなちっちゃいことを思いながら、キラキラ光る星と夜空に包まれている。