9歳。10歳。
天真爛漫。全身全霊。無我夢中。

人はみな、小学校の中学年――年齢が2桁に達する前後の時期――くらいまでは、周囲の視線や言葉、自分の置かれた状況に対して、ある程度まで解釈することはあっても、じくじくと熟れた柘榴のようになるまで思い悩んだりすることは比較的少ない。

人生という時間軸に対する価値観は人それぞれであるものの、9~10歳頃まではどちらかと言えば苦労せずとも常に楽しく生きていられる時期なのではないかと私は思う。
もちろんそうではない人もいるだろう。
ただ、一人っ子で呑気に育った私は、少なくとも小5の頃まではこの言葉通り、恒常的な心身の前進運動を伴った毎日を過ごしていた。

通学時間を共有した4人は仲良くなった

就学期の子どもというのは、学校までの行き帰りに使用する路線が同じ者同士で何かと親しくしがちである。
ご多分に漏れず、自分も小4~5の約2年間は“○○線メンツ”と称した4人組で共に下校していた。
男子2人、女子2人という何とも程よい感じの組み合わせである。
仲良くなったきっかけは今ではすっかり忘れてしまった。

4人の下車する駅は少しずつ異なっており、まず1人の男子がA駅で降り、「あっという間じゃん、バイバイ」、次にその2駅あとのB駅で1人の女子が降り、「じゃあまた明日ね~。今度ディズニー行こう!」、最後にその次のC駅で私ともう1人の男子が一緒に降りるという流れだった。
私はこの駅が最寄りで、彼は乗り換えに利用していた。
実際、私はC駅の次の駅からでも徒歩で自宅に帰れたのだが、4人組で帰るときは毎回この駅から帰っていた。

彼とふたりきりで過ごすひと駅分は、いろんな感情がよぎった

自分は低学年の頃から、この同じ駅で降りる男子のことを漠然と好いていた。
けれど、それを仄めかすような言動を一切してこなかったのは、彼の視線の先には別のクラスメイトの存在があるのが分かっていたから。
自分が好意を寄せる相手が誰を好いているかが手に取るように把握できてしまうのは、言わずもがな自分が好きな相手のことを日常的に目で追っているからだという悲しくも必然的な運命である。

他の2人が降りた後、その男子と自分が2人きりになる一駅分の時間は長いようにも、一瞬で終わる旅のようにも感じられた。
B駅を過ぎてからは、互いに青い鳥文庫と折り紙をそれぞれの鞄から取り出し、短い時間をもてあそんでいた。
私にとっては手にする文庫本はあくまで飾り物にすぎず、気になる相手の顔を直視しなくて済むという理由で読んでいるふりをしているだけだった。

あれは秋か冬の季節のことだったように思う。
いつもの通り、特に何かを会話したりすることもなく、近いとも遠いともとれないような絶妙な距離感で私たちは電車に揺られていた。

ある意味絶好のチャンスでもあったのだが、面と向かってだと何を話せばいいか分からなくなる…という緊張から、車両のドアが開くのを心待ちにする気持ちと、ずっとこのままでいいなという本心とが入り混じった、冷や汗をかくような甘ったるい数分間だった。

どんな意図だったのか……彼のひとことに何も反応できなかった

あと1分弱でC駅に到着するというとき、彼がボソッと「なんか俺たちカップルみたいだな」と口にした。

一瞬、聞き間違いかと思ったが、その音が鼓膜を振動させ、脳の聴覚野や言語野に到達し、その意味を完全に理解したところで私のアタマは字の如くパンクした。

現代であればマスクでどうにか表情を誤魔化せたかもしれないが、当時の自分はおそらくひどく赤面していたであろう。
何も言えないまま固まってしまった私に、彼はそれ以上何も言ってはこなかった。

無視された? こいつ怒ってる? そう勘違いされても仕方がない。
その後、電車が駅に到着した場面や、その日彼とどうやって別れたのかは、一切覚えていない。

今思い返しても、言葉の真意は分からない。
ノリだったのかもしれないし、2人きりになった途端おかしいくらいに寡黙になる私に向けた“やさしいからかい”だったのかもしれない。

あのときの、あの言葉に、何も反応できなかった自分をなぜだか今でも悔やんでいる。
だから、13年前の彼に何だかごめん、と明るく伝えたい。

そして今、当時9歳だった自分が、もうすぐ22歳になるという自分の方を振り向いて、こう言っている気がする。

「10年来の恋わずらいの思い出をこしらえちゃって、ごめんね!」