私には6年以上、ずっと誰にも言わずに、家族にも嘘を吐いて、胸の中に押し込めて蓋をして、見て見ぬふりをしてきたことがある。その事を未だに私は後悔していて、謝りたいと思っている。
しかし、私はこの謝罪を、今さら誰に向かってすれば良いのかが、分からない。
満足で不自由のない生活
私は現在29歳で、2児の母だ。しかし逆算すると何年か前は当然、20代前半の独身女性だった。妊娠、結婚、出産。それら全てを22歳で経験し、私は未熟なままに妻となり、母となった。
子どもの怪我は親の責任。怪我防止に血眼になった母親
ある晩の7時頃、0歳の長男がソファから落ちた。その時私はキッチンに居て、旦那はダイニングの椅子に座っていた。「ゴトッ」と赤ちゃんが落ちる音、そして「ギャー」という泣き声で、私達は長男がソファから落ちた事に気が付いた。
幸いソファの下にはラグが敷かれていた事もあって、大事には至らなかった。しかし、新米パパと新米ママははじめての出来事に大いに慌て、罪悪感を感じ、急ぎタクシーで夜間救急にかかり、医師に「様子を見てください」と言われ、深夜帰宅した頃には3人ともドッと疲れ果てていた。
私はこの時、「子どもを怪我させるとこんなにも親は疲れるのか」と思った。この視点は、おかしい。だって痛い思いをしたのは私ではなく、長男なのだから。
私達夫婦は、泣き疲れて眠る0歳の長男に謝った。翌朝には家中で見過ごされてきた危険な物を、改めて血眼になって探し、全てを排除した。
しかし私はその0歳の長男を寝かしつける時、彼の腕に歯形をつけたことがある。
怪我には謝って、付けた歯形には見て見ぬふりをした
授乳期、0歳児の長男は毎晩あまりにも眠らず、そして29歳の旦那は毎晩あまりにも眠っていた。6年前の事でもう記憶は曖昧だけれど、深夜3時、あるいは4時。朦朧とした意識の中、私は毎晩長男を抱いてただただ揺れ続けていた。
そして私の理性が限界を迎えた一瞬、彼の腕に私は歯を強く押し付けた。私の少し開いた口は強張って震え、長男の柔らかな皮膚に沈んだ。
「子どもを怪我させるとこんなにも親は疲れるのか」と思った私が。救急にかかった0歳児に謝った私が。真っ白で柔らかいちぎりパンのような腕に、深夜の寝室の中で、歯形をつけていた。
「これは虐待ではないか、すぐにやめなければ」と当時の私は強く思った。そして私は次の瞬間、授乳で栄養が行き届かない、血管の浮いた自分の手の甲にも歯形をつけた。
歯を押し付けた事で一次的についた歯形はアザになる事もなく、誰かに気付かれる事もなかった。眠れない長男と眠れない私だけが、その歯形の存在を知っていた。
あの時の私は、どうすればよかったのか。旦那に寝かしつけを代わってもらえばよかったのか。旦那ならこんな事はしなかっただろうか。もしも旦那に毎晩寝かしつけを頼んでいたら、毎朝寝不足で不機嫌になっていたのだろうか。それとも全てがうまくいっていたのだろうか。
歯形をつけられて涙を流す次男、これは私のせい?
長男の夜泣きは、ある一定の期間を過ぎると収まった。そして私は次男を妊娠し、「2度とあんな事はしない」と、密かに心に誓った。
そして産後1年も経たないある日。私がある衝撃的な現場を目撃したことによって、その決意はより強固なものとなってしまった。
幼い兄弟が日中じゃれ合う中で、長男が次男のちぎりパンに歯形をつけていたのである。
……これは私のせいなのか。2歳になった長男は、母親の私から腕に歯形をつけられた事を、今も覚えているのだろうか。
私は自分の中の「心当たり」を自覚しながらも仲裁し、歯形をつけられて涙を流す次男を抱き締めるのだった。本当に抱き締められるべきは、長男なのかもしれないのに。
怯えて、認めて、謝って、愛したい
授乳期の次男は、夜間よく眠る子だった。私が一緒に横になって、彼の口に乳首を含ませれば、そのまま朝までぐっすりと眠る事ができた。私が次男の腕や自分の手の甲に歯形をつける事は無かった。
そして2人共卒乳はスムーズで、その後もすくすくと育ち、今では4歳と6歳になっている。激しい喧嘩をする事も最近は少ない。
しかし、時折取っ組み合いの喧嘩になった時、私は長男が次男を噛むことがないか、未だにほんの少し、怯えている。
一般的に、言葉が拙い子どもが他人を噛む事は、たまにある。家庭でも、幼稚園でも。その背景に私のような親がいるとは、もちろん限らない。私が言える事は、親が子どもに歯形をつけるのは良くないという、至極当たり前の事だけだ。だから私は今でも申し訳なさを抱えている。
しかし、こんな謝罪を、今さら6歳の長男に向かってしてもいいものなのか。
「ママね、昔、あなたの腕に歯形をつけた事があるの。あなたがあまりにも眠らないから、おかしくなっちゃって」
って?
……違う。もはや、今謝ることが彼にとって良い事なのか、私にはわからない。だから今私が謝りたいのは、旦那にだ。大きくなった長男が喧嘩の中で次男に歯形をつけているのを見た時、私は旦那に自分の中の心当たりを正直に明かすことができなかった。
夫婦であり両親なのだから、旦那には甘えてもよかったのだ。長男が次男に歯形をつけているのを目撃してしまった時も、そして6年前の夜中の寝かしつけの時も、そして、今も。
私はこんな行き場の無い気持ちを抱えて、今まで子育てをしてきた。私の未熟さは、長男の人格にも影響しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
しかし私が現在まで、母親としての理想を追い求めて、一歩一歩歩んで来れたのは、6年前の申し訳なさを無かった事にせず、今日この日まで抱え続けてきたからだ。過ちを正当化するつもりはない。しかしこれからも私は、この「心当たり」を絶対に手放さない。
0歳だった長男と、現在35歳の旦那さんへ。ごめんね、愛しているよ。