「私今年こそはクールビューティーになるんだ!」と最初に言い始めたのは、もう10年は前のことだったと思う。私は、今年こそクールビューティーになる。

クールビューティーなお姉様をたくさん見てきた

 私はかっこいいお姉様になりたいのだ。
 中高6年を女子校で過ごし、かっこいいお姉様やかっこいい女の先生をたくさん見てきたので、クールビューティーについてはよく知っている。
 クールビューティーとは、すなわち「余裕」である。
 クールビューティーなお姉様は、心は熱いが、頭は冷静である。
 何事にも一生懸命打ち込むが、決して取り乱したりはしない。物事に対して瞬発的に反応するのではなく、一度受け止め、自分の中で咀嚼してから表現する。
 容姿は大人っぽく、ゆったりとした、落ち着きのある振る舞いをしている。
 常に学ぶことをやめず、知識や教養があり、しかしそれを決してひけらかさない。

アイドルが誇りに思ってくれるようなファンになりたくて

 ここ数年は、「クールビューティーになりたい」という目標のことはすっかり失念していた。新卒でついた営業職に疲弊し転職、引っ越しをし、新しく就いた職場でもさまざまな問題が起こり、自分がどうなりたいかなんて考える暇が全くなかった。周りから自分がどう見られているかに頓着する余裕もなく、ただ日々をこなしていくことに精一杯であった。
 2020年、新型コロナウイルスの流行により、圧倒的におうち時間が増えた私は、Youtubeでよく動画を見るようになった。そこで、私はとあるKPOPアイドルにハマった。
 彼らはよく「ファンが誇れるようなグループになりたい」と言う。それを受けて、私は「私のようなものがファンでいて、彼らは果たして誇りに思うのだろうか? 私も彼らのその意気込みにふさわしい人間になるべきなのではないか?」と考えるようになった。
 私の中でかっこよく、「この人が自分を応援してくれていたら嬉しい!」と思えるような人間、それがクールビューティーだった。
 クールビューティーになりたいなんて目標を立てている時点で、クールビューティーから5億光年くらい離れている。こうやって過剰な表現をするところも、全くもってクールビューティーではない。クールビューティーな人は、極端ではなく、的確に、美しい表現を使うのだろうと思う。私の内面はクールビューティーからは大きくかけ離れていて、それを矯正することはひどく難しいことのように思う。
 また、私は自分のマヌケな姿が嫌いではない。美しい推しの姿に興奮してしまうことや、悲しいことに涙を流せること、理不尽に対して強く反発できること、楽しくなるとすぐに調子に乗ってしまうこと、感情を歌や踊りで表現してしまうこと、これらは私の短所でもあるが長所でもある。自分の感受性や心は大切にしていきたいとも思っている。

クールビューティーは偶像に過ぎないことは知りつつも

 クールビューティーは所詮、偶像に過ぎない姿だとも思う。私が憧れたクールビューティーな方々も、それぞれの人生を生き、苦しみや辛さを抱え、怪我をすれば痛く、ひどい扱いを受ければ心が傷つき、楽しい出来事があれば心を踊らせる人たちである。
 しかし、私は偶像になりたい。
 自分で、自分の表面上の姿がコントロールできるようになりたい。
 家の外では、私は周囲に落ち着いていて美しい人だと思われたいし、そう見えるように振る舞いたい。内心は変えなくても、その内心を外に対してどう表現していくかは、自分の力で変えられるのではないかと思う。
 クールビューティーになるために、私は今日も努力をする。いつの日か、「この人が自分たちのファンでいてよかった」と思ってもらえるような、素敵なお姉様を目指して。