心が悲鳴をあげる日は、口紅を買う。
紅を差すようになってから大事にしているおまじないのひとつだ。

1本のリップに、ものすごい魔法が秘められていると信じていた

小さい頃、唇に色をのせるのは特別な時だけだった。
七五三、親戚の結婚式の参列、ピアノやバレエの発表会など、 ちょっとお姉さんになっておめかしをする時の、いわば象徴的な儀式だ。特別な日の準備の最後に、母やメイクさんがリップを添える瞬間がたまらなく好きだった。「ムーンプリズムパワー!メイクアップ」というセーラームーンの声が聞こえて、周りがパステルカラーでキラキラする気がして。笑

リップは分かりやすく変身をさせてくれるアイテムだと思う。発色が強く、パッキリした色だとなおさら。幼い頃は肌荒れで悩むことはなかったし、目が小さいとか、鼻が低いとか比較するほど自分や他人の顔のことを意識しない。だからこそ、ファンデーションとかコンシーラーとかマスカラとかアイライナーよりも、1本のリップにものすごい魔法が秘められていると信じていた。

信じた魔力は本物だったと、ココ・シャネルに認められた気がした

“If you're sad, add more lipstick and attack.”
悲しいのなら、口紅をもっとつけて挑みなさい。

ココ・シャネルのこの言葉との出会いが、リップへの憧れを今まで以上に強め、わたしをコレクターにさせるきっかけとなった。

正直な話、シャネルで最初に興味を持った商品は、リップではなく、香水だ。本やアニメ、映画などで名前が挙がることの多かったNo.5がどんな香りなのか知りたくて調べたから。でも、商品やブランドの歴史、ココ・シャネルの伝記と手当たり次第に読み進めていくうちに、No.5の香りを実際に香るよりも先に、ココ・シャネルという一人の女性の魅力にどっぷり浸っていた。

他にもたくさん名言があり、これ以外でも好きな言葉はたくさんある。数ある中でもこの言葉が一番心に刻まれたのは、頭の片隅で静かに息をしていた幼い頃の記憶に、新しい酸素をたくさん送り込んだからだ。自分の信じていた魔力は本物だったと、彼女が認めてくれた気がした。

唇が華やぐだけで、ときめいたし、見た目も健康的に見える

コロナが蔓延して、口元を晒さない生活が普及して、売り上げが大きく落ちたコスメの1つはリップだという。そんなトレンドに反して、2020年、わたしは新しく10本以上のリップを調達した。ただ、この本数は皮肉にも、心が苦しくなったり、ぽっきり折れてしまったりした回数とニアリーイコールだ。そして間違いなくこの本数以上に、わたしの心身はこの前代未聞のパンデミックによって疲弊させられていた。
だからこそ、顔が下を向いてしまいそうな時は、これまで以上に意識的に新しい色の口紅を、重ねてみた。

唇が華やぐだけで、ときめいたし、実際に見た目としても健康的に見える。心を潤し、鏡を欺き、1秒、1分、1時間、1日、1か月、1年と少しでも前向きになれるように、おまじないをかけ続け、生き抜いてきた。

だからわたしは、悲しくなったら紅を差す。
1本のリップがもたらす魔法のことを強く、信じているから。