私は中学校、高校の時に授業の一環として平和学習をした。
実際に広島に行き、原爆を経験した人や、被爆体験伝承者の方のご講演を聞いた。その中で「皆んなには平和について考えてほしい。自分のできることから始めたり、個々が手を繋いで輪を広げて行って欲しい」というひとことが強く印象に残り、自分の生き方を変えてくれた言葉である。
終戦から80年近く経つ現代では「戦争」は忘れ去られている出来事になりつつある。しかしもう一度、「戦争」「平和」について皆が考え直し、皆んなが関心を持ち考え直す社会にしていかなければならないと思った。

実家を離れて始めたひとり暮らし。家族の大切さやありがたみを感じる

私が中学校、高校の時は岩手の実家で、家族3人で暮らしていた。その時はそれが当たり前だと思って日々過ごしていた。毎日美味しいご飯が食卓に並び皆んなで食べること。家族が何事もなく健康で過ごせること。毎日温かいお風呂に浸かれること。そのような日々は「当たり前」だと思っていた。
しかし、実際に戦争の話を聞いたり、被爆体験をされた方の話を聞いてから、今自分が生きていることに感謝すると同時に、今幸せと思えることは当たり前ではなく奇跡のようなことだと感じるようになった。
私は、大学入学を機に地元岩手を離れて、東京で一人暮らしを始めた。
最初は親元から離れて本当に毎日が寂しく、毎日母と電話をしていた。しかし、しばらくすると、親から開放されたことが逆に楽になり、なんのしがらみもなく友達と遊べるのが嬉しかった。今もその嬉しさを感じながら日々過ごしているが、私は必ず食事をする時に、孤独を感じてしまう。
何もしなければ食べるものが出てこないので、自分で作らなければならない。自分で作ったものは母が作った料理に比べると、味は美味しくないし、何より、1人で食べるご飯ほど美味しくないものはない。
ここでもやはり、自分はいかに今まで幸せな生活を送っていたのか実感したし、家族皆んなで生活できることほど幸せなことはないのだと実感した。

当たり前の暮らしがあることは幸せなことだった

そして今ふと思い出すこととして、私は生まれてから高校卒業までずっと岩手で暮らしていたので、3月11日の東日本大震災も経験している。岩手といっても内陸の盛岡なので津波の被害はなかったが、私の友達で沿岸に住んでいた子は、お母さんが被災したのだ。
その話を聞いてとても心が痛かったし、家族が皆んな揃っていることほど幸せなことはないと思った。
私は、この「平和学習」「3月11日の東日本大震災」「親元を離れて一人暮らしをしている今」から、家族の大切さや、当たり前の幸せは当たり前ではなく幸せなことなんだと実感する。
それは、平和学習での「皆んなには平和について考えてほしい。自分のできることから始めたり、個々が手を繋いで輪を広げて行って欲しい」というひとことのおかげであると思う。