2019年秋、私は天使をこの世に産み落とした。
愛してやまない我が子、優しく家事も育児も積極的にしてくれる夫。
どんなに大変な事があっても難なく乗り越えられる!……はずだった。

私も子どもも愛してくれて、夫にはいつも感謝している。しかし…

2020年。
マニュアル通りにはいかない育児。毎日があっという間で、あっという間じゃない。
ふぅ……今日も何とか無事に終わる……!
やっとの思いで夜の寝かしつけを終えた途端、帰宅する旦那。

ドンドンドンドンガタンッ!
「うぇぇぇぇぇええええええええええん」

もーーーーーー!!!!!
こんな事は日常茶飯事だった。

彼の言い分はこうだ。
「普通に歩いて普通に扉を閉めただけ。普通の生活をしてるだけなのに、怒られるなんて理不尽だ」
??????????
子供が寝てるのわかっているなら、いつもより少しだけ静かに歩いて、いつもより少しだけ静かに扉を閉めて。たったそれだけの事。私だってそうやって過ごしている。
理不尽でもなんでもないよ?

夫に対しては、いつも物凄く感謝している。私を大切に想い、子を溺愛している夫。
出勤前も帰宅後も家事をしてくれる夫。
それなのに、少し気を付けてほしいという気持ちは理解してもらえないのだろうか。
これ以上望むのは間違っているのだろうか。
贅沢、我儘なのだろうか。
無理を強いているのだろうか。

この後も、感覚の違いが顕著に現れる出来事はいくつもあった。

コミュニケーションが不十分だと、心の余裕はなくなっていく

限られた夫婦の時間、話は毎日したい。他愛ない話もあれば、真面目な話も。
大切なコミュニケーションの時間。
しかし、事あるごとに私の話は、彼の右耳から左耳へスーッと抜けていく。
前にも話したよね?
同じ話をしないといけない場面が何度もあった。
お願い、私の話をちゃんと聞いて……!

真剣に聞いてくれないならばと、尽きることない育児の悩みやストレスを独りで抱え込んだ。そして心の余裕が無くなってしまった私は常時口調がキツくなり、ほんの些細な事が引き金となって必要以上にキレてしまう。
そんな事で、が、そんな事とは思えなかった。
「ごめんね」が言えなくなっていった。すると、終わる喧嘩も終わらない。

……こんなはずじゃなかった。
ほとぼりが冷めるといつもそう思った。それじゃあ遅いのに。
1年間、こんな事を何度も何度も繰り返した。

新年にあたって、絶対に忘れてはいけないことを確認する

2021年。
私は20代最後に突入し、夫と付き合って10年になる。
パリンッと割れてアリさん向けサイズになってしまった心の器。金継ぎに金継ぎを重ね、ゾウとは言わないが身の丈サイズの器に復元させたいものである。
そこで、新年を迎え、気持ち新たなこの時に今一度、私達夫婦そして私自身の在り方について考え直してみた。

そもそも夫婦たるもの元々赤の他人。全く違う環境で育ってきた分、各々考え方の根本はそう簡単に変えられるものではない。口で言うほどそう簡単に相手を理解できるものでもない。
プチーンときてしまうものは仕方ない。ここからまず私がどう変わるかだ。

せめて、こうしよう。

ひとまず部屋から出て深呼吸。少し頭を冷やそうじゃない。
その場をグググっと乗り越えて、その後第三者の意見を仰げばいいじゃない。
すぐに想いをどこかにぶつけたい時は、びゃびゃびゃっとエッセイに綴っちゃえばいいじゃない。

絶対に忘れてはいけない事。
私達は可愛い我が子を愛する、夫婦を超越した同志である事。考え方やり方は違おうと、そこの根底は全く同じ。長い年月を経るにつれ、太く長く地中を這う、簡単には折れない強靭な根っことなると信じている。
そしてその根が腐らないためには、素直に「ごめんね」と言おう。

病める時も
健やかなる時も
不満が溜まって些細なことでイライラしちゃう時も
これを愛し
産後クライシスから脱することをここに誓います