今まで自分のことしか考えずに生きてきたけれど、少しは他人のために生きてみようと、ハンバーグソースを作るために、玉ねぎを30分近くも炒めていた時に思った。

私はハンバーグだけでなくステーキやしゃぶしゃぶも、「素材本来の味を楽しむ派」だから塩胡椒をかけて美味しく頂くのだが、3年前に結婚した夫は「素材とソースのマリアージュを楽しむ派」なので、珍しく彼のために料理酒やらケチャップやら醤油やら、色んな旨味を合わせながら時間を掛けてソースを作ってみた。
幸い、年末から産休に入った私にはそのような贅沢に使える時間があった。3月に初めて子どもを出産する予定なのである。

思えば学生の頃も、就職してからも、結婚してからも、自分の「生きやすさ」最優先で生きてきた。
就活を始めたばかりの頃はルールがよくわからず、グループディスカッション中に一人だけ他の参加者の意見に猛反対するような暴挙に出てしまい、協調性がないとみなされてしまったし、結婚して共働きになった今も家事は半分以下しかできておらず、友人との会食やエステの予約を優先して、食事当番なのにファストフードのデリバリーで済ませてしまったり。

ポテトサラダ論争なんていう論争が起きること自体が信じられない。自分たちで稼いだお金を使って楽することの何が悪いの?と思っていた。

子どもを授かった今、他人のことを少し多めに考えるのも悪くない

しかし、子どもを授かり出産間近となった今、子ども用品の口コミをネットでしらみつぶしに検索しながら、新型コロナが新生児に与える影響についてアホみたいに調べている自分がいた。
自分が着る良質なマタニティパジャマより口コミ点数の高いベビーカー。
まとまった時間ができても感染リスクの高い美容院は諦めて、おうちで育児本を読み勉強するか、インスタグラムで育児に関するアカウントを読み漁り、「カフェイン」「アルコール」「ナマモノ」と言ったワードに異常に敏感になる。
お陰で髪の毛はボサボサだけど、まだ産まれてもいない我が子に全てを捧げても良いと思っている。

そして、その子にお腹の上から愛おしく話し掛けてくれる私の夫も、同じぐらい可愛い。だから珍しくハンバーグソースを作ってあげたら、とても美味しく食べてくれたのでとても嬉しい。そんな小さな幸せの積み重ねを体感している。

恐らく出産して、産休育休が終われば戦争のような日々が始まるだろうし、ポテトサラダは面倒くさいからいつまでもお惣菜に頼りたいけど(しかも買いに行くのはもちろん夫)、こうして幸運にも余裕のある時間を持てているうちは、他人のことをいつもより少し多めに考えながら生きていくのも悪くないなと思う。

心にゆとりを持ちながら、同じ社会に生きる人のことをいつもより考える

家族など自分の身の回りの人たちだけではなく、直接面識のない、けれど同じ社会に生きている人たちについて、2020年は考える機会を多く与えてくれた。

恥ずかしながら、少し前にGo To Eatで「無限くら寿司」なるものに挑戦してみた。夕食の時間帯に予約してお店で食事をすれば、一人1,000円分のポイントが還元されるので、このシステムを使えば実質毎回一人1,000円分の回転寿司がタダで食べられると言う仕組みだ。つまり国の税金が我々に還元されているのである。

でも、この税金の使い道は正しいのだろうか。ニュースでは様々な理由で生活保護が受けられず困っている人たちが毎日報道されていると言うのに、彼らに分配されるべきお金が私の気まぐれな食欲のために使われている。
だったらクラウドファンディングで地元の商店街を応援したり、地方にふるさと納税する方がより多くの人のためになるのではないだろうか。

かつての上司(40代独身女性)に妊娠の報告をした時に、こう言われた。
「私は年齢的にも出産が難しいから、社会の一員としてあなたの子供を育てたい」
会社の同僚が育休を取るたびに「社会の一員として私もあなたの育児に参加します!」と、そんな発想を抱けたらどんなに素敵だろう。
みんなが誰かのために少しずつ思いやりの気持ちを持てたら、きっと世の中は少しずつ良くなる。
せっかくの長期休暇、心にゆとりを持ちながら、他人のことをいつもより少しだけ多く考えて生きていくことを、ここに誓います。