もやが晴れない。
頭の中で思考が踊り、わたしの現実を侵食していく。
それは朝、起き抜けにベッドの上で青白い光の中をぼんやりと揺蕩っているときだとか、
雑にトーストした食パンをオレンジジュースで流しているときだとか、
講義中に教授が熱弁しているときだとか、
髪を流しているときだとか、
意識がゆるゆると落ちていく暗闇のなかとか、
えとせとら、えとせとら。
常に何かのことで頭がいっぱいになっている。
考えることはなんでもいい。最近話題になった政治問題とか、好きな映画のあのシーンの意味とか、ジェンダーや人種差別についてとか、なんとかかんとか。
そういうことをひたすら自分の中でこねくり回して、不格好な一つの大きい塊にして、そのまま自分の中の「未完成の棚」に飾り、忘れた頃にまた引っ張り出して、こねくり回す。
そんなことの繰り返し。
でも、いつまでもぐるぐると踊り続ける思考は終わるところを知らず、わたしの現実を侵し続けていく。
思考は堂々と巡り、わたしは呑み込まれていく。
ああ、不快だ。
頭の中を巡る思考。何をどんな風に書いたらいいの?
「それさ、いっそ文字にしてみたらいいんじゃない?」
日曜午後3時、雨。
水滴が窓を滑っていくのを横目に、コーヒーを啜りながら彼女は言った。
学期末課題処理大会と名を打って喫茶店でWord画面と睨み合っていた私たちは、1時間もすればパソコンをわきに退け、たわいもないお喋りを続けていた。
わたしがわたしの思考の話についてぼそぼそと喋り、それに返ってきたのが今の彼女の言葉である。
「もじ、」
ミルクレープの一切れを咀嚼し、バニラの甘みが広がる口を開く代わりに目線で続きを促す。
「そう。日記に書くとかスマホのメモ帳とか、なんでもいいけど。とにかく一旦書き出してそれを完成させちゃえばスッキリするよ」
名案だ。
帰宅するなり、わたしはパソコンを立ち上げた。メモ帳のアプリを開いてキーボードに指を乗せる。
わたしの中に棲み付いている思考たちを、文字にして頭から追い出すのだ。
わたしの指はキーボードを跳ね、軽快な音とともにみるみる彼らを書き出していく──────
はずだったのだが。
画面はいつまで経っても真っ白のままだった。
書くことが思いつかない。
今まであんなに思考で埋め尽くされてきたのに、なんのことを、どんなふうに書いたらいいのか全く分からない。「女性差別はダメ」────それはなぜ?一体どんなものが女性差別なの? 「あの映画のこのシーンが良かった」────どんなところが良かった?その映画に込められたテーマって何?
ああ、そうか、
今までわたしが「思考」だと思っていたのは、ただの勘違いだったんだ
誰でも思いつくような浅いことを何度も何度も繰り返して、それを思考だと思い込んでいたんだ
結局、わたしは何も考えていなかったんだ
わたしの足元が、がらがらと崩れ落ちる音がした。
自分が今感じている感覚を、素直に表してあげればいい
突然突きつけられた事実に狼狽し、それでも暫くは認めることができずに、「書き方が分からないだけだ。書き方が分かればきっと」という惨めな希望に縋りながら色々なサイトをひたすらに巡った。
文章の書き方、思いの伝え方、数々のエッセイサイトを読み漁り…そして出会ったのが、「かがみよかがみ」だった。
日々感じていること、自分の中のもやもやが、自身の言葉でぶつけられた文章たち。具体的なものもあれば、抽象的なものもあって、それでもすべて、言葉を尽くして書き記されていた。
最新の日付のものから10本ほど読んで、気づいた。
ジェンダー理論とか、映画考察とか、政治とか、なにか特定のことを難しく書く必要はないんだ。
自分が今感じているこの感覚を、自分の言葉で、素直に表してあげる、それだけでいいんだ。
そして書き上げたものが、このエッセイである。
正直自分でも何を書いているか分からないくらいかたちが無い文だなあという気持ちだが、なんとなく頭が軽くなっているような気がするような、しないような。
このエッセイを皮切りに、ぼそぼそと自分の感じていることを吐き出せていければいいなあ。