母は、気が利く人だった。
だけどその娘の私は、ぼうっとした空想の世界を好む、周りが見えない子だった。そして、何故母が怒っているのかが分からず余計それが母を怒らせた。

そんなこんなで、そうやって年数を重ねていけば、空気を読む検定、自分で言うけど一級です。
常に人の顔色を伺い、相手が何を求めているかが分かるが故、時には明るくはしゃいで見せたり、わざと空気の読めない発言をしたりした。

そうしてやっていく内に、自分はこんなにもやっているのに、何故周りはやってくれないんだろう。私は後輩なのに、何故先輩はやってくれなくて私が主でやってるんだろう。私が後輩の時は、もっとこうやっていたり、気を遣っていた。
自分だって見えていない所があるのに、自分がやった事だけを正当化し、他人に対して苛立ちだけを貯めていった。

親ぐらいの年齢の後輩の悪気のない一言と、綺麗事の返しが許せなくて

最後のきっかけは、仕事の相方の保育士の一言だった。
その時、私は保育士3年目で知識的な事も恥ずかしながら全然勉強中で、彼女は親くらいの年齢だったけれど自分で勉強して資格を取り、その年度から働き始めていた。

「私は分からないから、貴方が私が分からない事を私が言う前に先回りしてやって」

当時、彼女との関係にとてもストレスを感じていて、毎日ある彼女からの無意識な嫌味に疲弊し、自分も言い返す事で、精神安定を保っている悪循環を起こしていた。
相手に悪意は無いのだ。ただ思った事を言っているだけ。ストレートに。

さらに園に定期的に来る偉い先生の「合う合わないがあるのだから、貴方が大人にならなければ駄目よ」
その時の綺麗事に本当に嫌になった。偽善者だと思った。
何故20以上歳の離れた大人に対し、自分がサンドバッグになってまで大人の対応をしなければならないのかと思った。

そして、大人になりきれず怒っている自分の事も恥ずかしいと、冷静な頭では分かっていたし、同期に同情されている事が不安定の要因となり、どんどんどんどんどんどん『自分はこんなに可哀想だから同情して』という気持ちが膨らんだ。

カウンセラーの先生の一言で自分の気持ちの守り方を知った

もう限界だというところまできたところで、カウンセラーの先生に相談したいと申し出た。

「君は、相手に対して期待をしているんだね。」

お腹の痛みやモヤモヤが取れた気がした。

先生は、自分がこれだけしたんだから、貴方もそれだけ返してよって期待したんだね。だけどそれは自分のイライラの元でしか無いから出来るだけやめた方がいいと言った。

自分が心からやってあげた事も、相手にとったらもしかしたらなんて事無いかもしれない。違う人間だから。価値観や考え方が違うから。
だったら、自分が見返りを期待せずやった方が楽だ。相手に対しても、変わる期待をしては駄目だ。自分の気持ちを、心が楽な方に変えればいいのか。

今思えば、相手に対しても色々考えがあった事だし自分も一身に向き合わず、少しずつ状況やその時の相手の考えを選別して向き合っていけば良かった。

まあ、全く許してないし、自分が全て悪いとは思ってやらない。 
でも、考えを、自分の気持ちをどうやって守っていくかは、分かった。
ただ、これはすごーく難しい。無意識に期待してしまう。
だけど、生きている限り、こんなのはずっと続くんだから、少しでも自分が楽な方へ。