猫が可愛いと思えない。

猫が、というより動物が可愛いと思えない。
写真や動画を見て、『これを可愛いと言うのだろう』ということは理解できる。概念としての犬猫が可愛いということはわかるのだが、じゃあ、実物を見て
「かわいい~~」
と、黄色い声をあげられるかというとNOだ。
猫カフェがブームになり、派生してふくろうや爬虫類を愛でるカフェができた。テレビや雑誌で特集が組まれたり、これだけを目当てに海外の方も訪れるとか。猫も杓子も老いも若きも、まるで義務化されているかのように動物を愛でる。
友人や同僚が「行ってきたの~」と写真を見せてきたり、カフェの前でその素晴らしさを力説したり。その度に、可愛いねえーそうだねーと上っ面だけの返事をして会話を合わせてきた。
その可愛さが、素晴らしさがわからないとは口が裂けても言えない。
なにかが欠けていると思われるのは嫌だ。

犬に九官鳥に猫 動物の飼育経験は豊富だけど

別にペットを飼ったことが無いわけではない。
実家には犬がいたし、幼稚園くらいまでは九官鳥もいた。祖母の家でも半野良のような猫が飼われていた。
動物の飼育経験があるにも関わらず、どうして愛着を抱けないのか。
そんなに世話をしてこなかったからだろうか。
いや、九官鳥には、一生懸命レタスをあたえていた覚えがある。レタスを食べ切ったことに気づかず、幼児の私の指の先を意外に強い力で喰んでいたことを覚えている。痛いんだか痒いんだかよくわからない変な感触だった。
いつの間に、愛玩動物と称される彼ら彼女らに対して、なんの感情も抱かなくなってしまったのだろうか。

猫カフェも猫吸いも未経験なだけかも でも私はリアルも知っている

可愛いよりも、爪研ぎでばりばりになった襖や涎でベトベトになり後に悪臭を放つ毛布類のイメージが先行してしまう。
愛らしいとは真逆に位置していると言ってもいい。
猫カフェだって自宅でペットを飼えないが故のものなんだと思うが、そもそも飲食を供する場所に毛の抜ける生き物がいることが理解できない。(こればっかりはふれあえるカフェ未経験者のイメージなので現実と異なることは百も承知だ。)
猫吸いなるものがあるらしいが、吸う魅力はなんなんだろう。きっと毛が鼻や口に当たってむずむずするし、そもそも香る匂いは獣のそれではないのか?(これは猫吸い未経験者の以下同文である。)
生き物って、ダニの温床では……??
総じて、それを有り難がる人の気がしれない。

どれもこれもやったことが無いからの感覚なのだと思う。
やってみたら案外病みつきになるのかもしれない。でも、そもそも食指が働かないものはどうしようも無いよなあとも思う。

犬や猫がいても私にはただの風景の一部 「ある」だけ感情はうごかない

まだ私が中高生くらいの頃、バラエティ番組で
『犬猫を見ても道に空き缶が転がっているのと同じ』
と言っている人がいた。番組では、人の心が無いだの愛情の欠如だの散々な言われ方をしていたが、私からしたら「まさにそれ」。それまでの共感出来ない諸々にぴたりと形を与えてくれる天啓の様な一言だった。
動物に愛玩したい、触れ合いたい、という積極的な感情が浮かばない。
道に空き缶が『ある』のと同じ、道に犬猫が『ある』。そこに感情を揺さぶる何物も無い。風景のひとつだ。

動物の可愛さがわからないというと、人にあらずという反応を受ける。きっと愛情をかけてもらったことが無いのねと憐れまれる。
それは嫌だから、興味のない動物カフェや同僚のペットには、お愛想で可愛いと言わなければいけない。テンションを上げないといけない。

それが良いにしろ悪いにしろ嗜好は人それぞれだと思う。
『猫を可愛いと思えない』
こう言って非難されない世界になる日は来るのだろうか?