ついに来たか。
心の中でつぶやき、大きくため息をついた。
"第一次結婚ラッシュ"だ。

25歳手前で小さな結婚ラッシュが来たが、そんなもの比ではない。本当の"ラッシュ"というものが来てしまったのだ。
殊に、年始ともあれば新年の挨拶ついでにSNSを使って皆の結婚報告を見ることとなる。
スクロールしてもスクロールしても出てくる、「結婚しました」の文字や、結婚指輪をはめた2人の手の写真。
ああ、もう勘弁してくれ。

友達の結婚を心から喜べない。その自分にさらにイライラする

そんなことを思いながらSNSを閉じる。
見なければいいだけのSNSと違って、直接的に心を痛めつけるのは、仲のいい友人たちの結婚報告だ。
久しぶりに集まる度、集まってテレビ電話をする度、誰かしらが「実は・・・」と話し始める。
その場にいた全員が「良かったね」「嬉しいよ」と、口々に言うがその中に1人は私と同じことを思っている人間がいるはずだ。

"もう勘弁してくれ!!!"

仲のいい友人の結婚報告は確かに嬉しいものだ。ましてや彼氏のことも知っているとなれば尚更喜ばしい。
ただ、それ以上に自分に対する焦りを感じて心の底から喜べないのだ。
タイミングよく結婚できた友人にも、そのタイミングに乗れない自分と彼にも、そして何より心から喜ぶことが出来なくなった自分の心に、言い表しがたいイライラを感じてしまうのだ。

結婚報告ひとつで自分も友人も嫌いになりそうになった

結婚に至るまでのエピソードなんかを聞きながら、「2人が付き会い始めた頃は、私も結婚するはずだった彼と暮らしていたな」とか、「プロポーズを受けた場所はこの間連れて行ってもらったな」とか、意味のない比較をしながら暗くなった心に光を灯そうと躍起になるが、そんなものでは拭いきれない黒い闇が心を支配する。

更には、自分自身を慰める為に、「今の時代3組に1組は離婚する時代だし」なんて他人の不幸を願うような言葉すら使ってしまうのだ。可哀想な心になってしまったものだ。

"結婚だけではない"
耳にタコができる程聞いた慰めだ。

分かっている、分かっているのだ。
実際、今焦って慌てて結婚したとして、自分自身後悔の残る人生になるだろう。ましてや生涯のパートナーなんて焦って決めるものではない。
いろんな場所を飛び回ったり、色んな人と知り合ったり、独身だからこそ出来る楽しみを今現在謳歌している私にとって、結婚自体は足枷にしかならないのだ。

それでも皆の結婚報告を聞く度、結婚していない自分が人間として落ちぶれてしまったように感じ、今まで感じたことのない孤独感に襲われるのだ。

ストレスに打ち勝ち、新しい強さを手に入れた

そんな状態が続いてかれこれ半年程だろうか。
きっと私は強くなった。いや、きっとではない、絶対に強くなっている。あの孤独感を耐え抜いたからこそ、精神的に強くなったと言い切れる。

通ったものにしか分からない苦悩と虚しさがそこにはあった。だからこそ、結婚した子たちには理解出来ない心境に寄り添うことが出来る。
心を真っ黒に染めてしまう大きなストレスに打ち勝ったおかげで、ちょっとやそっとのことでは泣き言を言わなくなった。

やはり結婚生活を楽しむ友人が羨ましいと思う瞬間はある。そしていつか結婚したいという気持ちもあるが、その時が自然と来るまでは焦るべきではないと自分を諭せるようにもなった。
そして、その時後悔しないよう丁寧に生きようと、自分の持つ時間に対して、真摯に向き合うようになった。
人として大きく成長したと、自分自身で大きく感じる。

周囲の結婚に焦る全女子達へ。
耐えろ。耐えるのだ。
今はどれだけ辛くとも、適当な相手と結婚しようかと揺らいでも。
耐えた抜いたその先に、私たちにしか見えない明るい未来がきっとあるはずだ。