まだ、夜は明けない。それでも迎えた2021年、私は「ありのままいること」をここに宣言する。

生活は一変。人間の弱さや醜さも目にした。意外な発見もあった

昨年の2月末ごろからだろうか。私たちの生活は一変した。見えない恐怖に怯えながら家に閉じこもり、あんなにも当たり前にあった飲み会やコンサート、友達や恋人との時間が「接触」などという生々しくて気持ちのわるい言葉で表されるようになってしまった。みんな窮屈で、息が詰まっている。窮地に立たされた人間の弱さや醜さも目の当たりにした。誰も責められないからこそ、なんともやりきれなかった。

そんな中で、私たちは所謂「ステイホーム」を強いられたわけだが、正直悪くなかった。なかなか楽しんだ。最も驚くべきは、今まで大の苦手だった掃除が大好きになったことである。部屋にいる時間が増えると、自分の生活空間を快適にしたいという思考が働いて、ひたすら部屋をピッカピカにした。リモート飲み会なんて新しいことも、やってみたら楽しくてハマった。私はおうち時間を結構楽しめた方だと思う。

みんなが、とても遠く感じて、悲しいような寂しいような気持ちに

一方で、何ヶ月も家に缶詰めになっていると、急にポツンと一人ぼっちになってしまうような、どうにも虚しい気持ちになることが増えた。実家暮らしなので話し相手は居た。とはいえ、会わなくなると友達との連絡も減るし、そうすると自分の周りにあった大事なものがポロポロと剥がれ落ちてしまうような気がした。みんなが、とても遠く感じて、悲しいような寂しいような気持ちになった。

さらに私は3年生で、次年度の就活に対する不安もある。こんな世の中で就職なんてできるんだろうか、そもそも私は何をやりたいんだ?私ってなんだ?私の強み、個性、出来ること、そんなんあるのか? Instagramのストーリーを見ればみんなインターンがどうだ、エントリーがどうだと言っている。SNSは見栄とプライドで溢れている。実際どれくらいやっているのか、どんな気持ちなのか。みんなの本当の温度なんて、液晶を通してじゃ何にもわからなかった。

それでも、非日常だった日々は次第に日常に溶け込み、当たり前になった。少しは友達に会えるようにもなった。大好きなアーティストは配信ライブをしてくれて、本当は生で会いに行ってみんなと笑い合いたいけれど、音楽は幸せをくれる。それで十分嬉しい。たくさん我慢してきたからこそ、小さい幸せを幸せだと感じられるようになっている。

就活を目前にして思う。結局のところ独りで、自分の人生なのだ

大晦日、紅白歌合戦で星野源さんが「うちで踊ろう」の2番が追加されたフルバージョンを歌唱していたのだが、その一節で私の心にストンと収まった言葉があった。
コロナで会いたい人に会えないこのご時世、人に会えないならもう飲み込んでひとりで歩いて行くしかないじゃないか、ということなんだと受け止めたが、就活を目前に控える私にはいろいろな角度から刺さった。結局のところ、独りなのだ。悩んだり迷ったりした時、背中を押してくれる家族や友人の存在は大きいけれど、結局自分の人生なのだ。そう思ったら楽しくなってきた。人と比べて自分が惨めに見えて、誰にも会いたくない日もあるし、逆に会いたいときに会えなくて寂しくなることもあるけれど、それも全部私の人生に必要なミッションだ。

だから、2021年は「ありのままいること」を宣言しようと思う。コロナのお陰で、自分と向き合う時間はたくさん取れたし、人との繋がりをより愛おしく思うようになった。きっとまたみんなとマスクを外して笑いあえると信じて、なお止まらずに、一歩ずつこの二本脚を前に進めて行きたいと思う。新しい年はより自分らしく、変化を楽しみ、頑張りすぎない自分のままで駆け抜けていけたらいいな。そう思っている。