これは前職の先輩、シングルマザーでもある大先輩から掛けられた言葉。
先輩は厳しくも愛のあるムチを持ち合わせているし、非常に説得力があり、その人に合わせて口調も声色をも変えて伝えてくれる。まるで美貌も相まって、女優さんみたい。まるで自分の子どもに自分にも言い聞かせるような、目を見て手を止めて伝えてくれる、まさに真剣勝負といった雰囲気が漂う。
姉御肌でもあるし、厳しいけれど伝えてくれるものは白黒はっきりしている。中途半端にしない。だからなのか、傍から見れば厳しく見えるのだろうし、非常にサバサバしているように見えるのかもしれない。場合によっては怖がられる存在に視えてしまうかもしれない。
実際わたしも、ある意味で怒らせないようにと、神経を擦り減らしていた時期もある。でも、人知れず何かと闘っていたのも知っていた。誰かが言わなきゃいけない使命感もあったはず。
でも、それを感じさせない先輩の強さも弱さも、ずっとそばで見つめてきた。正義感と大きな愛情を持って伝えてくれていた、貴重な一言に私は救われていった。

仕事と家庭の両立をよく思わない人もいて、先輩の心は削り始めていた

シングルマザーだからと言って、子どもに不自由させたくないし育ち方が悪いって言われたくないからと、自分の心身を削りながら仕事をしていた姿が今でも目に浮かぶ。
仕事と家庭のことを両立しようと努力しながらも、人生を楽しみつつ生き生きとしていた。子どものために定時で上がるように心掛けているから時間のコントロールが巧みで、いつもピッタリに退勤していた。
私は、それが羨ましいと思っていたし憧れでもあった。先輩の多くの経験と努力が物語っていた、カッコ良さだった。
でもそれをよく思わない、相性とタイミングの悪い余計な一言で先輩を傷付けてしまう人も居た。決して悪気があったわけではないのは、よく話をし聞いていれば分かるはず。それを受け止め方の加減で、勝手に決め付けてしまって、いつのまにか余計な一言がそれもタイミング悪く放たれていた。
しかも、その回数が増えていった。そして、ただでさえ家庭との両立に必死になっていた先輩の心を削り始める状況になっていってしまった。見るからに、辛そうな表情が見え、何よりも生き生きと働く先輩ではなくなっていった。そして先輩は、人知れず決断して現場を離れていった。

先輩が離れ統率を求める現場。いつのまにか潰れた私に届いた愛のムチ

私は、先輩のために何か出来たのだろうか。何か言葉を掛けてあげられたのだろうか。人知れず悩み苦しんでいるのなら、手を差し伸べられただろうか。そして私は、先輩に助けて頂いた御恩を、いまだに返しきれていない。自分が本当に不甲斐ない。

先輩が現場を離れたとき、私は一気に不安に襲われていった。そして周りは言う。言うというより聞こえてきてしまう。今度は私が中心にならないと現場は回らない、と。冗談でも噂でも他の誰にも任せられない、と聞こえてくる。冗談じゃないよ。私は先輩のように振る舞えるほど器用じゃない。残業もする。なにより兼務しているから無理だから。でも、周りの雰囲気に合わせて私も空気を読んで読んで、仕事をこなす必要があったので一生懸命こなした。だけど、いつのまにか潰れていった。やっぱり先輩が居ないと駄目だったんだよ。そんな時また、先輩の愛のムチが私のもとに届いた。

20、30年後未来のための決断を。いつか次の時代の若者へ伝えたい

そんな事しなくていい。
あなたの仕事をしてたら十分。
やりすぎるな。と。

そして子どもにも言っているけど、あんたが犯罪者になろうと、ずっと味方でいる。
だから安心して、と。

わたしが道に迷うとき、必ずと言っていいほど、周りにいる大人たちが声を掛けてくれて、見守ってくれて背中を押してくれる。どれだけの想いを持って伝えてくれていたのだろう。なんて、タイミング良く生まれるメッセージばかりなのだろうか、と不思議な気持ちになる。

私は、先輩みたいな大人になったとき伝えられるほどの経験をしているだろうか。私がいつか大人になったとき、次の時代を生きる若者たちに伝えられるだろうか。

20年、30年後の未来のための決断をしなさい、と。