突然ですけど、皆さんは最近本を読んでますか?と言うより、紙の本や雑誌、辞書を使って読んでますか?
ネットワーク社会となった今、新聞はネットニュースで、本や雑誌はタブレットで、辞書はGoogle検索で。そんなのが主流だけど、私はどうしても紙媒体を選んでしまう。
これが私の感性だ。

本の重さを肌で感じていなきゃ読書した気にならない

勿論、タブレットの方が手軽に直ぐどこでも読めるし、字の大きさだって拡大したりして読みやすい。読み終わった本を捨てる事はなくゴミだって減らされるし、ボタンを押すだけで見る事の出来る本は閲覧者だって増えていると思う。
メリットは沢山ある。ましてや今のコロナ禍では、本屋に行って実際に本を手に取って立ち読み、なんて光景は殆ど見ない。古本だって、誰かが使ったものはちょっと……っていう人、多いんじゃない?

でも、私は紙の方が好きだ。だって紙の方が、「味」があるじゃん? 味っていうのは、本から香る本独特の匂い、読み込まれた本特有の匂い、学校の図書館に置いてある辞書は、少し黴臭かったり。
そして、本についた本独特のシミ、雨に濡れて付いちゃったシミだったり、おばあちゃんの愛読書には黄ばみが見える。
そして極めつけは、重さかな。読みやすさには大反比例しちゃうけど、やっぱり本の重さを肌で感じていなきゃ私は読書した気にならない。

紙媒体の本がネットの本より数百倍魅力的に感じる

単行本一冊を例に挙げると、作者はその単行本を作成するのにどれだけの年月をかけて作ったのか。もしかしたらこれで最初で最後なんていう作者の記念作品だったりするかもしれない。そんな特別な思いを単行本一個の重さから感じ取る。

そして文字の大きさ、行間、間の取り方、ページ数。表紙にだってこだわりははあると思う。その小説の伝えたい事を表すにはどんな表紙が良いのか、どんな表紙だとみんな目に留めてくれるのか。等々。
私は小説家でも無ければ編集者でもない。だから単行本一冊を刊行するのにどれだけの工程があるのかは分からないが、恐らくとんでもない量のお金、人、時間、労力が使われているのだと思う。

だからこそ、私は彼らの努力の結晶とされる単行本の原本を自分で手に取って、本の重さを感じたい。重さからでもその一冊の小説から伝えたい事はいくらでもあると思うな。上手く言葉では表せないけれど、私は紙媒体の本がネットの本より数百倍魅力的に感じる。

手に取って感じ取れる思い出の物って素敵

確かに、今は無駄を省く世の中だ。なんで本一冊の為に書店にわざわざ足を運ばなきゃいけないの、なんでわざわざ思い本を家まで持って行かなきゃいけないの、パソコンが落ちたらどうするの! なんでわざわざ……

私はそんな「わざわざ」をする無駄な事こそが大事なんじゃないかなと思う。
だって、人の記憶って楽しい事はすぐ消えちゃうらしいけど、辛い、めんどくさい事って、いつまでも人の頭の中に残るらしい。だからこそ、わざわざ時間をかけて運んだ一冊の本、ずっと自分の記憶の中に残るんじゃないかな。

例え消えちゃったとしても、物は残ってる。私は実家に帰る度に昔読んでた漫画や本、絵本にたまに目を通して懐かしく思うことだってある。あの頃は、顧問の先生にさんざん怒られてこの漫画読んでいつも元気貰っていたなとか。結構素敵だと思うな。手に取って感じ取れる思い出の物。

でも、もうそんな無駄が無くなっていくこれからの世の中だと、思い出す物も無くなってしまうのかなと考えるとなんか悲しい気がする。
時間の効率化、物の削減、人の無駄な時間をすり減らしてまで、大切なものや素敵な感性、失いたくはない。
ここで一つ疑問。紙の本や雑誌って無駄なのかな?