「まあでも君は潔いからな」
だから汚いことはしないだろう、と支社長は言った。
潔いとは、清らかであること、潔白であること、思い切りが良いこと。
そんな評価をされていたのかと目から鱗で、数年たった今でも記憶に残っている。

怒られるのかなと思って緊張したけど、心のどこかで開き直った

数年前の話になる。
私は新卒で入った会社で営業職として働いていたが、自分に向いていないと感じていた。一年は頑張ろうと思ったが、営業成績は悪く毎日会社に行きたくないと思っていた。もともと月に一人ぐらいのペースで辞職する人がいたし、私ももう辞めてしまおうかと思いつつも、それも言い出せずに鬱々としてしまう日々。
そんな矢先に支社長に「会議室に来るように」と言われた。
ああ、成績が悪いって怒られるのかな。
そう思って、緊張したけど心のどこかで開き直った。
営業成績が悪いと注意されるのなら「はい!だから辞めようと思います。今まですみませんでした!」と返してやろう、と思った。

結局、注意はされなかった。
そこで聞かされたのは、私より年上の入社3年目ぐらいだった社員が架空契約を数回にわたって行っており、その結果辞職することになった、という不祥事だった。
全体に周知する前に個人を呼び出したのは、今持っている契約で不正はないか確認するためだった。営業成績の悪かった私はそんなに多くの契約を持っていなかったし、そもそも不正をするという発想がなかった。

すとんと心に何かが落ちてきた。ああ、そうだ。会社を辞めよう

その時に支社長に言われたのだ。
「まあでも君は潔いからな」
だから数字をごまかすことはしないだろう、と。
隣にいた副支社長も頷いた。
不正して契約数を多く言うことはせず、どんなに少ない契約数でもきちんとありのままを報告してくれている、と。

その時、すとんと心に何かが落ちてきた。
ああ、そうだ。
会社を辞めよう。
潔く辞めよう。
その後直属の上司に辞職について相談し、1カ月も経たないうちに会社を辞めた。

潔いと言われたことは、決して嫌だったわけではない。
寧ろ営業成績が悪くて使えないと思っていた自分に、そんな見方もあるのかと驚いたぐらいだ。
私は他人から見て潔かったのだ。
上手くいかずに悩んでもがいて苦しんでいた私は、「潔い」存在だったのだ。

今でもたまに「潔い私でいられているかどうか」が行動指針に

会社を辞めようか悩んでいた時、私の中で「営業は向いていないけどもう少し努力したらできるようになるのではないか」という自分もいた。そんな迷いを、潔いという支社長の評価がすっぱりと諦めさせてくれた。
私は営業に向いてない、一年働いたけどやっぱり向いていない、ならもういたずらに悩んで時間を無駄にするのはやめよう。潔く認めて、辞めよう。
辞めることに対してネガティブなイメージを持っていた私がすっきりと転職することができたのは、今思い返してもあの「潔い」という支社長の評価のおかげだと思う。

転職して、今は事務職についている。
新しい会社で色々なことを覚えて、後輩もできた。
職種や仕事内容は違うが、やはり悩むことはあるし失敗することもある。
そんな時、たまに「潔い私でいられているかどうか」を行動指針にしている。

支社長。
使えない社員だった私に、それでも「潔い」という評価をしてくださって、ありがとうございました。