人生において選択の場面は何回も訪れる。ふと思い返してみて浮かんだ選択が3つある。その3つの選択には1つの共通点があった。それは「女としてマイノリティーな選択をした」という点だった。

1つ目の選択は高校2年生。理系に進むか文系に進むかの選択が持ち掛けられた。
学んだことを直接仕事に活かせるようにと理系女子になる道を選んだ。成績の良かったのは文系科目だったのだが、捨てて理系に来てしまった。文系頭の理系人間がいたっていいよね!的なマインドで日々過ごしている。高校のときも大学に入ってからも女子学生が全体の半分以下しかいない。理系女子のレア度が一目瞭然だ。リケジョという言葉が浸透してきたとはいえ、実在するリケジョはまだまだ少ないらしい。

迷いに迷って決めた大学の研究室で、私は「姫」になった。

2つ目の選択は大学3年生の夏。どの研究室に行くのか選ばなくてはならなかった。
気になるところを見て回り、迷った挙句に決めた第一志望。無事に入ることができたものの、私はそこの研究室の姫となってしまった。要するに研究室の人が私以外全員男だったのだ。男の人が多くなるとは予想していたが、まさかここまで偏るとは思っていなかった。「体に悪い薬品扱うし、女の子は辞めておいた方がいいかも…」見学に行っていたときに言われた言葉が脳裏によぎった。将来妊娠するようなことがあったときに影響があるという意味に聞こえた。その言葉を聞いて別の研究室を選んだ女の子がいたのだろうか。真意はわからないが、この男社会の中で強く生きようと決心した。

「大学院に進学すると婚期が遅れますか?」ってそれの何がだめなの?

そして現在、就職するのか大学院進学をするのかについてようやく決着がついた。
大学院進学に意思が固まったのだ。夏休み期間の企業説明会参加を経て、研究開発職に就きたいと思ったからだ。この職に就くには院進学がベターなのである。親から承諾は得ているが、少し気になることがある。「大学院に進学したら婚期が遅れてしまうのでしょうか?」という質問がネットにあふれているということだ。女は結婚し、作り出した家庭の中で生活していくことこそが当たり前の幸せだと言われているようで心がざわつく。学び、働くことで社会に貢献していくことも幸せの一つのあり方だというのに。女性の社会進出なんて言葉だけで、結婚=女性の幸せという方程式は令和の今も強く残り続けている。

一番は仕事。それから+αで結婚や子供 それが私の幸せの形

5年前に選択してから、子供の成長を優しく見守る母親よりバリバリ働くキャリアウーマンに憧れてしまう。もちろん素敵な人がいたら結婚したいし、子供がいることで得られる幸せがあるのもわかる。でも、これらは自分の人生をより明るくするための+αな要素であるにすぎない。学んだものを活かして人々の役に立つ使命を全うしたい。きっとふつうの女ではないのかもしれない。だから女性にとってふつうの幸せと対立する日が来ると思う。身近な人を傷つけることになったとしても、どうかマイノリティーな選択を許してほしい。私にあった幸せの形を掴んでみせるから。