国籍、年齢、性別、育った環境など、みんな違ったバックグラウンドを持ち、やはり感性も人それぞれ異なる。
例えば同じ映画を観ても、みんなで感想を持ち寄れば自分には想像も出来なかった視点から考察していたりするから面白い。
シェイクスピアは「人生は選択の連続である」と言った。確かに、私たちの毎日は朝から晩まで選択の連続だ。「朝は何を食べよう」「どこに行こう」「何を買おう」生きている年数に比例して、その後の人生に関わる大きな選択を強いられる場面も増える。
他人の意見を聞くことは大切。でも「自分の感性」はもっと大切!
留学、結婚、就職、出産など、自分だけではなく周りにいる大切な人たちをも巻き込む分、その選択は重みと責任を伴う。だから、余計に慎重になってどこに向かえばいいのか分からなくなることも多い。
そんなとき、人生の先輩や専門家の意見を聞くことは、とても大事なことだと思う。私はそれと同時に、いや時にはそれ以上に自分の直感と感性を大切にするようにしている。
他の人と比べようがない、私だけの特別な物差しだから。自分の心の声に耳を傾けて、私の魂は何を求めているのかを知るカギは感性を磨くことだと思う。
たくさん本を読んだり、美術館に行ったり、身体を動かして汗をかいたりして、五感で世界とコミュニケーションをとる。そのとき、私の心はどう感じるか。きっと素直に出てきた感情が答えだと思う。
母の枕の匂いは、私たちへの「愛情」がたくさん詰まった香りだった
私は小学生の頃、毎晩2人の姉と母との4人で川の字になって寝ていた。今思えばとても狭い家で、とたんの屋根は雨が降ると必ず雨漏りするので、家のそこら中にバケツやボウルを置かなければならなかった。私たちはまだ子供だったから、トトロに出てくるさつきとめいの家に住んでいるみたいで楽しかった。
母は私たちに寂しい思いをさせないため、自宅に英会話教室を開き、毎日夜まで授業をして夜中まで翌日の準備や家事をこなしていた。先に布団に入る私は夜眠れなくなると、まだ起きている母の枕の匂いをよくクンクンと嗅いでいた。そうすると何だかとても安心してぐっすり眠れたのだ。
その話を高校生になって友達にすると「えー!私、親の枕とか絶対嗅ぎたくないけどな」と皆口を揃えて言った。あ、親の枕ってそういうものなのかと思ったのと同時に、私はどこか嬉しかった。私にしか分からない母との絆を知ったような、記憶と感情がぴったりと繋がったような感覚だった。
否定されることを恐れて「自分自身」を否定してはいけない
私は母の枕を嗅ぐことで、寂しさを紛らわせていたのかも知れない。だけど、それと同時に母の一生懸命さや私たちへの愛情もちゃんと心で感じ取っていたのだと思う。
誰かの意見や主張を聞いて、柔軟な心で受け入れることは難しいけれど、それはとても大事なことだ。だけど、誰に何を言われようと、自分の感性を疑ってはいけないと思う。それはとても悲しいことだ。それまでの自分自身、関わった人、出来事を否定してしまうことになりかねない。
みんな何かを恐れている。嫌われること、否定されること、一人ぽっちになること。でも、そんなときにこそ自分の感性を大切にして胸を張って生きることが幸せを見つけるヒントなのかもしれない。
どこの誰も、私の感性を盗むことも否定することもできないのだから。