私は2021年、今までより少し自分に正直になる。

趣味とジェンダーの関連性、世の中の判断に疑問を抱く

私の最近のブームはもっぱらゲームだ。特別得意ではないけれど、単純に楽しいから好きだ。2020年はバイト代で初めて自分でゲーム機を買って、好きなことを楽しんだと思う。しかし、ゲームをしていると時々母親に言われることがある。
「年頃の女の子なんだから、ゲームばかりじゃなくて、もっとファッションの話とかしたらいいのに。」と。
果たして、年頃の女の子はファッションに興味を持つことを求められているのだろうか。もしかしてそれが普通なのだろうか。それに、正直私はファッションに興味が無いわけではない。寧ろ興味自体はある方である。まるで、女の子はファッションや化粧に関心を持つものであり、ゲームに関心をもつことは男の子っぽい、子供っぽいといわれた気がした。

私は絵を描くことが好きで、お菓子作りも好きだ。それと同じようにゲームが好きなのに、どうしてゲームは「女の子」であることを理由にそのようなことを言われなければならなかったのかわからなかった。性別による印象の差ってどうして生まれるのだろうと、初めて自分のこととして疑問に感じた。

植えつけられた無自覚さに恐怖をも覚えた

私のアルバイト先で販売している福袋が、女の子用、男の子用に分かれているのを見た。正直、その時私はとても違和感を感じたのである。

例えば「男の子らしい」ものが好きな女の子は、「男の子用」の福袋を欲しがることは変なのだろうか。企業は男、女というラベルを外して、ただ二種類に分けるだけではいけなかったのだろうかと疑問に思った。

思い返せば、私は昔ブロック遊びが好きで、それは所謂男の子寄りな好みだったのだろう。好きならどちらを選んでも良いはずなのに、当たり前に性別でラベリングされていたのが、なんだか抑圧されていると感じざるを得なかった。

女の子の福袋を欲しいといった男の子は、彼の両親に何と言われるのだろうかと気になった。ラッピングの種類だってそうだ。「女の子だから赤がいい」「男の子だから緑かな」。こういった大人の声を多く聞く。しかし、いざ子連れ客が子供本人に問うてみると、男の子が赤がいいと言うときだってあるのだ。ピンクは女の子の色で青は男の子の色なのかなど、最近はそういった性別と色の話題もしばしば耳にする。しかし実際の生活において、性別による好みの偏見は、非常に無意識的に起きているのだと感じたのである。その無自覚さが私は非常に恐ろしく思った。

正直に生きて、誰が不幸になる?今年はありのままでいたい

私には、そういった無自覚なラベリングはやめようだとかを発信したりするつもりは無い。それらは個人の価値観であり、私が態々どうこう言うのは違うような気がするからだ。しかし、私は私の価値観をもって、例えそれが「男っぽい」ものであっても、好きなものは好きでありたいし、隠さず興味を持っていきたい。だから今やっているゲームのことはTwitterでつぶやくし、昔「男みたい」と言われたショートカットもいつかまたするだろう。性別だけではなく、年齢だって気にしないで、堂々と子供向け番組だって、興味があれば見てもいいと思うのだ。周囲のことを気にしないわけではないので、周囲に何でも「私は性別に振り回されないんだ!」とこれ見よがしに言動で豪語する気は全くないし、返ってナンセンスだと思う。ただ、私は自分に正直でありたいのである。

実は、今までの私を振り返れば自分に正直とは言えなかった。あれ、私おかしいのかな、私の好みって変なのかなと思って好きなものが途端に恥ずかしくなったり、やめてしまったりもした。だから2021年の私は、もう少し自分に正直になっても良いのではないかと考えたのである。馬鹿正直に好きといっても、誰も不幸にはならないのだ。