中高一貫の女子校に通っていた私には、好きな人がいた。
ショートカットでボーイッシュな雰囲気、どのグループに属することもなく、いろんな人と軽やかに仲が良い子。バスケと、歌が上手。昼休みの校舎には、その歌声が響いていたことを思い出す。
お昼休み、移動教室、私はクラスの違うあの子に会えることを期待して、教室を出るたびにいつもキョロキョロしていた。貸してもらったパーカーから香る柔軟剤のいい匂いに、それまで感じたことない衝動的で背徳的な感情を刺激され、たじろいだりもした。

あの子も多分私を嫌いではなく、むしろ気に入ってくれていたのだと思う。会うたびに「かわいい」、ハグをすれば「いい匂いがする」といってくれて、うぶな私の胸には恋心というものがぐんぐんと育っていった。
でも、あの子はみんなと仲が良くて、私はその中の一人でしかなかった。もっともっと仲良くなりたいのに、あの子は「一番」を選ばない。休日に遊びにいっても、お泊まり会をしても、あの子を独占することはできなかった。反面、あの子は多分誰のものにもならない、という根拠のない自信があった。

カミングアウトはオンラインの日記

出会って一年も立たないうちだったと思う。あの子が、当時流行っていた鍵付きのオンライン日記のリンクを渡してくれた。パスワードと共に「あとで見てね」と言われて、待ちきれず帰りの電車の中でその日記を開いた。文章は覚えていないけど、見慣れない、初めての言葉に出会った衝撃をよく覚えている。

「FtM(Female to Male)」。いまではメディアでも聞くことのある言葉だが、当時はこの概念自体それほど社会に浸透していなかった気がする。あの子が日記に記した説明を読みすすめるごとに、これまで抱いていたあの子の言動への違和感がほどけていった。すごく驚いたけど、それよりも嬉しさがまさった。あの子の一番深いところに、ようやく入れてもらえた気がした。あの子の性別がなんであろうと、全く気にならなかった。

誰のものにもならないと思ったのに

学校に泊まって天体望遠鏡で星を見る、というイベントがある。あの子も行くというから、私ももちろん申し込んだ。入れ替わり立ち替わり、いろんな友達の間で楽しそうに笑うあの子がようやく私のところに来たと思ったら、おもむろに一つ上の学校の先輩と付き合っている事を打ち明けてきた。

寂しくて寂しくて、悔しくて悔しくて、でも取り乱したら友達として隣にいる権利すら失ってしまうような気がして、沢山質問して、聞きたくもない先輩とのエピソードを聞き出した。あの子と先輩が二人だけのものにしているひそやかなエピソードまで聞けることだけが、私の特権のような気がしたから。

親には内緒の手術を、あの子は決意した

夏休みだったと思う。あの子から、国外に手術をしに行くと聞いた。色々調べるうちに、手術には大きな危険が伴うことを知った。最悪の場合、命の危険があることも。

なんだか泣けて仕方なかった。これから知らない国で、たとえ本人の希望だとしても痛い思いをしなければいけないあの子の力に、なんとかなりたいと思った。その時私が思いついたことと言えば、御守りを作ること。飛行機をかたどったフェルトを縫い合わせ、中に綿を入れ、裏に刺繍でメッセージを書いた。手紙と共に封筒に入れ、ポストに投函する。あの子が旅立つまで時間があるから、きっと間に合うだろう。あの子が独りで痛い思いに耐える時、その隣にこの御守りがあって欲しい。必死だった。ことの後先を考える余裕が、当時の私にはなかった。

あの子は、母親とはうまくいかないと話していた。あの子の心と身体の不一致についても、全面的に協力するような姿勢ではないという。今思えば、協力したくないというより、戸惑いや不安、正解の無い選択肢の中で最善を見つける精神的圧力と戦っていたのかもしれないと想像できるのだけれど。この渡航のことも、絶対に止めてくるから母親には告げずに出国するつもりだという。親子の間で実際どの程度のやりとりが交されたのかは分からないが、とにかく親には内緒でこっそり渡航するつもりだったらしい。

私の善意があの子の決意を邪魔した

夏休みの終わり、「御守りが届いてるといいな」と連絡した。あの子からは「御守りは受け取っていない。多分、母親が勝手に捨てた。手術には、いけなかった」と返ってきた。

瞬時に、私の手紙が原因だ、と悟った。あの子は明言しなかったけど、手紙を送ったタイミングや、少ない言葉の端から想像するのは容易だった。私からの手紙を、まずあの子の母親が受け取った。うっすらと子供の企みを勘付いていた母親は、多分、私からの手紙を開けてしまったのだろう。そして、あの子の計画を知ってしまった…。血の気が引く、という体験をしたのはあれが初めてだと思う。大好きなあの子の一大決心を無に帰すようなことをしでかした、少なくともその一端になってしまった後悔に、身体が冷えて重くなって、身体を小さく抱えて呻いた記憶がある。

あの子にすぐに謝りたかった。善意ではあれ、取り返しのつかない事をしてしまった。でも、大好きな人の人生を狂わせてしまったという事実が恐ろしくて、あの子に向き合うことができなかった。直接真実を聞こうと何度か電話もしたけれど、結局御守りのことには触れられなかった。もう10年以上経っているのに、あれ以来、御守りのことを切り出せていない。

時を超えても伝えられない、御守りと私の気持ち

あの夏の出来事は、あの子が自分本来の姿に戻る道のりに回り道を強いてしまったかもしれない。でもあの子はいま、いろんな試練を乗り越えた末、自分があるべきと思う姿に生まれ変わっている。許してくれなくてもいいから、あの時、自分の気持ちばかりに先走ってしまった事を謝りたい。あの手紙さえなければ、あの子の青春時代は大きく変わっていたかもしれないから。
同時に、エゴかもしれないけれど、あの時に届かなかった私の想いを伝えられたらと思ってしまう。あなたの事を守りたい、力になりたいと心から思っていた存在が、ひっそりとあなたのそばにいた事を。