私の何を知っているの。
 大学一年生の初夏、出会って二ヶ月が経とうとしていた友人に私はそう言われた。責めるわけでも、突放すわけでも、馬鹿にするわけでもない。ただ淡々と冷静に、彼女はそう呟いた。
 結論から言えば、新生活が始まったばかりの私は調子に乗っていたのだ。目まぐるしく移ろう日常に慣れ始め、新しい通学ルートを楽しむ余裕もできて、電車の乗り換えだってスムーズにできるようになった。これが俗に言う『大学デビュー』かと浮かれていた。
 彼女は、私が入学当初に声を掛けてくれた友人の一人だ。優しく聡明で、博識、映画やサブカルにも詳しくフットワークが軽い。こんな人になりたいな、と当時率直に感じたものだ。この感情は今でも変わっていない。

「私の何を知ってるの?」私の何気ない言葉に彼女は謳うように返した

 ある日、講義の終わった帰り道で。いつもより元気のない彼女に、恐らく疲れていただけなのだろうが、私は言ってしまった。『今日、別人みたいだね。知らない人みたい』と。その瞬間、彼女は至極冷静な声で『私の何を知ってるの?』と謳うように返してきた。
 正直、頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。確かに私は、彼女の何も知らない。知っている事と言えば、フルネームと誕生日、血液型とペットに犬を飼っていることだけ。住所も高校時代の部活動も、将来の夢も最寄り駅でさえも。まだ『何も』知らなかった。
 誰だって、知り合って二ヶ月しか経っていない赤の他人に『お前変わったね』なんてドヤ顔で言われたらムカつくだろう。お前は私の何を知っているんだ、と言いたくなるに決まっている。
 口から不意に出る言葉、とりわけ考え無しに発する言葉は危険だと、その時痛感した。一度口にしてしまったものは取り消せない。当時の私は脳死状態、つまりよく考えもせずに『別人みたい』と言ったが。彼女は明らかに、ハッキリ彼女自身の意思を持って『何を知ってるの』と返事をしてくれた。
 ここに生まれている差が、知性なのか教養なのか、これまでの人生経験によるものなのかはわからない。わからないからこそ、安易に他人を知ったような気になるべきじゃないのだと、私は思う。

自分自身でさえよく知らないのに。他人をどこまで理解できているのか

 同時に今の私は、彼女が言った言葉を好意的に受け取っているが、その言葉自体が一瞬でも彼女を傷つけてしまった可能性は否定できない。あれから数年経ってもなお、私は彼女や他の友人たちを『知った』ような気でいるのだ。正直すごく怖い。どこまで踏み込んだ時、私は他人を知ったことになるんだろうか。逆に、どこまで踏み込んでいいのだろう。
 私でさえ、自分自身をまだよく知らないのに。血の繋がりがない一人の人間をどこまで理解できているのか。もちろん、普段私が周囲の人と会話をする際には、こんな深い事は考えていない。『知った』気でいられるがために『知らないかもしれない』こと自体を忘れてしまっているのだ。思い出すのはいつも会話が終わってから数か月後、帰り道、お風呂にぼんやり入っている時、寝ころんでスマホを眺めている時なんかにふと。彼女が鮮やかに蘇る。
 『私の何を知ってるの』。その答えを、今日も私は探している。